預言者ムハンマドはアブー・ターリブによって守られ最大の保護を受けられた。イブン・イサクなどの歴史家や伝記作家によると、アブー・ターリブは彼の甥が10歳か12歳の頃、貿易キャラバンでシリアに連れて行った。彼らはダマスカス付近のある場所で止まり、預言者ムハンマドが一番年下であったから、キャラバンを見張っているように言った。キャラバンはその時近くの修道院の修道士から注意深く観察されていた。その者は、最後の預言者の到来を、期待していた。バヒラという名のこの修道士は、雲がキャラバンの後についてきて、キャラバンが止まった時には止まり、それが動き出すとそれについて動き、彼らの頭上に影を作っているのを見た。これは預言者の特徴だ、このキャラバンの中に待たれている預言者がいるに違いない、とバヒラは考えた。キャラバンが修道院の近くで泊まった時、バヒラは彼らを食事に招いた。彼は雲がまだキャラバンを覆っているのに気づいた。彼はアブー・ターリブに、誰がキャラバンに残っているのかと尋ねた。アブー・ターリブは、小さな少年がキャラバンを見張るために残っているだけだと答えた。修道士は彼を連れて来るように頼んだ。ムハンマドがきた時、バヒラはアブー・ターリブを端に連れて行き、その少年との関係を尋ねた。私の息子だとアブー・ターリブは答えた。バヒラはこれに異議を唱えた。「あなたの息子であるはずはない。我々の本によれば、彼の父親は彼が生まれる前に死んだに違いない」。それから付け加えた。「アドバイスさせてほしい。この子を連れてすぐに戻りなさい。ユダヤ教徒はうらやんでいる。もし彼らが彼を認めたら、彼に危害を加えるだろう」。アブー・ターリブは他のメンバーに弁解して、甥と共にマッカに帰った。[1]

バヒラは正しかった。ただ知らないことがあった。ムハンマドは「アッラーは(危険をなす)人々からあなたを守護なされる」(食卓章5/67)に言われるようにアッラーによって守護されていた。

預言者の二度めの旅行は、25歳の時だった。この時は奥様ハディージャが派遣したキャラバンについての旅だった。当時、彼女とは共同に仕事をされていたのである。この旅行でも、バヒラと出あった。彼はかなり歳をとっていた。預言者を見て大変驚いた。なぜなら彼はこのような日が来ることをずっと待っていたのである。預言者に「あなたは預言者となるであろう。ああ、私もその時まで生きられればいいのだが。そしてあなたにつかえることができればいいのだが」と言った。彼はその日を見ることはなかった。だがこの行為が、天国における彼の地位をよいものにすることは間違いないことであろう。

皆そのお方を待っていた

ザイド・ビン・アムル

預言者ムハンマドを待っていたのは、一人や二人ではなかった。ザイド・ビン・アムルもその一人だった。彼は教友(サハーバ)の一人、サイド・ビン・ザイドの父であり、ウマルのおじでもあった。この人は、偶像から顔をそむけ、何の効果も害もないことを主張し、預言者の登場にわずかに間に合わず世を去った。彼は「私は知っている、その人の登場は近い。その影はもう我々に届こうとしている。ただし、私がその日まで生きていられるかどうかはわからない」と言っていた。彼は唯一のアッラーの存在を信じていたが、どのように礼拝行為をすればいいのか知ることはできなかった。アミル・ビン・レビアは、このように伝えている。

「ザイド・ビン・アムルから聞いたことである。ある日、こんなことを言っていた。

『私はイスマーイールの、そしてアブドゥルムッタリブの血統から現れるであろう預言者を待っている。その日まで生きることができるとは思わないが、信仰し、確かに認めている。彼は真の預言者である。もしあなたの寿命が彼に間に合えば、私からよろしく伝えてほしい。それから、君に伝えておこう。驚いてはいけない』と言った。私が

『どうぞ、説明を』と言うと、彼は続けた。

『背は中くらいである。高くもないし低くもない。髪は、完全にまっすぐではないし、縮れてもいない。アハマドという名であろう。生まれるのはマッカである。預言者となるのもここである。ただしその後、彼のもたらされるものを気に入らない者たちが、彼をマッカから追い出すだろう。彼はマディーナに移る。そしてその教えをそこで広めるだろう。私はあちらこちらを訪ね歩き研究し、イブラーヒームの教えを探した。私が話をしたキリスト教徒もユダヤ教徒も皆、あなたが探している人は後ほど現れるだろうと言っていた。皆最後にこういって締めくくった。彼は最後の預言者であり、彼の後には預言者は現れないだろう』」

アミル・ビン・レビアは続ける。

「それから月日は経って私はムスリムになった。アッラーの預言者に、ザイドが言っていたことを伝えた。彼からの挨拶を伝えると預言者は姿勢を正してそれを受けられた。そして言われた。『私はザイドが天国で歩いているのを見た』」[2]

ワラカ・ヌーファル

ワラカ・ビン・ネブフェルはキリスト教徒の学者だった。預言者の妻ハディージャの親戚でもあった。預言者に最初の啓示が下り始めた頃、ハディージャは何が起こっているのか知るために彼の元にきたことがあった。そしてワラカからこの返事を得た。

「ハディージャよ。彼はいつも正しいことを言う人だ。彼が見たものは、預言者がその初めに経験しなければならないことなのだ。聖ムーサーや聖イーサーにも同じものが訪れた。近いうちに、彼は預言者となるであろう。私もその日まで生きられれば、必ず彼を信じて、その教えの信者になろう」[3]

アブドッラー・ビン・サラーム

アブドッラー・ビン・サラームはユダヤの学者だった。イスラームの入信について、彼自身の言葉から引用したい。「預言者がマディーナに移住した時、皆と同じように私も見に行った。その周囲にたくさんの人がいた。その中に入り込んだ時、彼の言葉が聞こえた。「あなた方にところにやって来た人たちに、あいさつをし、食事を与えなさい」。その言葉の不思議な力と深い意味に私は衝撃を受けた。その場で入信しムスリムになった。なぜなら、彼に預言者にしか見られない顔を見たからである。[4]」アブドッラー・ビン・サラームは重要な人であった。彼が聖ユースフの子孫だった[5]。彼については、聖クルアーンでも触れられている。

「言ってやるがいい「あなた方は考えてみたのか。もし、(聖クルアーンが)アッラーの御許からであり、それをあなた方は拒否し、しかも、イスラエルの子孫の一人がそれ(ムーサーの律法)と同じ者であると立証し、それで彼自身聖クルアーンを信じたのに、あなた方は(なお)信じなかったとすれば。(あなた方は不義の徒になるのではないのか)」(砂丘章46/10)

この章で触れられているイスラエルの子孫の一人というのが(一部の学者が聖ムーサーだと言うが)アブドッラー・ビン・サラームであると大部分の学者が言う。

サルマーン・ファーリシィ

サルマーン・ファーリシィも、証人の一人である。彼は以前拝火教徒であった。しかし、真実の教えを求めていた。その後キリスト教に出合った。教会に通いだした。慕っていた司祭の死に際には、彼に今後どの誰に従えばいいのかを尋ね、その勧めに従って、勧められた人に従った。このようにして、多くの人のそばで学んだ。ある時、最期のときを迎えた一人の司祭に同じことを尋ね、彼からこのような答えを得た。

「わが子よ、もはや君に推薦できるものは誰も残っていない。ただ、最後の預言者の到来の時が近づいている。彼はイブラーヒームの教えにあるとおりに現れるだろう。彼が移住した、マッカから現れるだろう。その後、他の地に一度移り、そこに住むだろう。これは確かなことだ。行くことができるなら、そこへ行くといい。彼はサダカを受け取らない。贈り物は認める。二つの肩の間に、預言者であることの印がある」

これ以降は彼自身の言葉から引用しよう。

「私の司祭が教えた地へ行くために、私はキャラバンを探した。キャラバンと交渉し、お金を払ってそこへ連れて行ってもらうことになった。しかし、アル・クラーの谷で、彼らは私に暴行を加えた上、奴隷としてユダヤ人に売り渡した。その後、他のユダヤ人が来て,私を買った。そしてマディーナへ連れて行った。私はそこでナツメヤシの農場で働き始めた。預言者について何の情報も得られなかった。そんなある日、私は木に登ってナツメヤシを採っていた。私の持ち主であるユダヤ人も木の下で座っていた。そこへ、彼の従兄弟であるユダヤ人がやって来た。いまいましい様子で、

『なんてことだ。みなキュバへ向かっている。マッカからきた男が、自分を預言者だと宣言したらしい。皆、真に受けているらしい!』と言った。私は緊張の余り震え出した。もう少しで、木の上から持ち主の上に落ちるところだった。急いで木から降りて、

『何と言いましたか? どういうことですか? 』と尋ねた。持ち主は私が取り乱しているのに怒り、私を強く殴り、

『お前に何の関係がある。自分の仕事をしていろ』と言った。

『興味があっただけです』と私は言って、再び木に登った。

その夜、私は全ての荷物をまとめてキュバへ発った。預言者は、教友たちと共に座っておられた。

『あなた方は貧しい方のようにお見受けします。私はちょうどサダカをする相手を探していたのです。これをあなた方に差し上げます。どうぞ食べてください』と私は言った。預言者は、そばにいる者たちに、

『あなた方がお食べなさい』と言われ、決してそれに手を触れようともされなかった。心の中で、私は『司祭が言っておられた、一つめの印だ』と考えていた。翌日またそこに行って、

『これはサダカではなく、贈り物です。どうぞ召し上がってください』と言った。預言者は、友人たちに勧めた上でご自分も召し上がった。『二つめの印もあっていた』と思った。

友人の一人が亡くなり、その葬儀に預言者が来られ、私は挨拶をした後その背後を通り、肩の間にあるはずの印を見ようとした。そしてついにはそれを見ることができた。三つめの印も、何年も前に司祭が述べていたとおりであった。私は自分を抑えられず、預言者ムハンマドに抱きつき、その印にキスをした。預言者は『どうしましたか? 』と言われた。その前に座って、それまでに起こったことを説明した。預言者は大変喜ばれ、他の友人たちにも、その話をするように言われた」[6]

そう、意地や悪意から逃れて、そのお方を見る者は、このお方を見つけ、その姿に打たれる。過去においても、現在においてもそのことには変わりはない。意地やこだわりを捨てられない者たちが、彼が預言者だと知っていながらそれを認められずにいるという点においても、過去と現在の間に変化はないのである。

なぜ彼らは信じなかったのか

そもそもユダヤ教徒もキリスト教徒も預言者のことを知っていた。しかし悪意と嫉妬が、信仰の妨げとなった。知っていたという面においては、彼らは実にはっきりと絶対的な形で知っていた。信仰するようになるためには、預言者を一度でも見ればそれで十分という状態だった。聖クルアーンでは、このことは次のように述べられている。

「われが経典を授けた者たちは、自分の子を認めるようにそれを認める。だが彼らの一部の者は、承知の上で真理を隠す」(雌牛章2/146)

この章で、預言者の名が明記されず、彼、となっているが、それは経典の民全てが、最後の預言者として、彼、と言われた時点で、それぞれの聖書で名前が出てくるその人を理解するという印である。彼というのは、もちろん何の疑いもなく、預言者ムハンマドのことである。そして彼らは、彼を自分の子供以上によく知っていた。ウマルはアブドッラー・ビン・サラームに尋ねる。

「預言者を、自分の子供のように知っていましたか」返事はこうだった。

「自分の子よりもよく知っていました」ウマルが、

「どういうことですか」と聞くと、

「自分の子については疑いを持つこともあり得ます。もしかしたら妻が嘘を言っているのかもしれないから。でも、彼が最後の預言者であるということについては、全く疑いを持ちません」と答えたという。[7]

嫉妬と悪意

そう、彼らは預言者のことをよく知っていた。しかし、信じることと知っていることは別であった。知っているが、信じてはいなかった。嫉妬と悪意が信仰への妨げになっていた。

「(今)アッラーの御許から経典(クルアーン)がくだされて、彼らが所持していたものをさらに確認できるようになったが、(以前から不信心の者に対し勝利をお授けくださいと願っていたにも関らず」心に思っていたものが実際に下ると、彼らはその信仰を拒否する」(雌牛章2/89)

この章で、アッラーは、彼らが預言者を認めなかった本当の理由について述べておられる。全ての問題は、最後の預言者がユダヤ人ではなかったというところにある。もし預言者がユダヤの血筋からなるものであれば、彼らの行いは全く異なっていただろうというのは、全く疑いのないことである。アブドッラー・ビン・サラームは、預言者の元に来て、言った。

「預言者よ。一時的に私を隠してください。それから、マディーナのユダヤ学者を全て呼び集めてください。その席で、私や私の父についてどのように知っているか、聞いてみてください。皆が好意的なことを答えるはずです。その後で、私は現れて、ムスリムになったことを公表しましょう」

預言者もこれを認められた。アブドッラー・ビン・サラームは家の中で身を隠し、ユダヤ学者たちが呼ばれた。預言者が彼や彼の父についてどう思うかと尋ねると、

「彼と、その父は最も名誉ある学者たちだ」と答えた。再び預言者が尋ねられた。

「彼がもし私を認めたら、それに対して何と言われますか」彼らは

「あり得ない。決してそんなことはあり得ない」と答えた。その時、アブドッラー・ビン・サラームが姿を現し、ムスリムであることを宣言した。皆驚き、そのうち、

「彼らは最悪の学者たちだ」と、前の言葉を覆した。[8]

競争心

ムギーレ・ビン・シューベは語っている。

「私はアブー・ジャハルと共に座っていた。そこに預言者が来られた。いくつかのことについて説明をし教えを説き始められた。アブー・ジャハルは、馬鹿にした調子で、

『ムハンマドよ。もし、この説明とやらを、あの世に行った時のために、教えを説いたということの証人を求めてやっているのなら、ほどほどにしてくれ。私が証人になってやるから、これ以上私のじゃまをしないでくれ』と言った。預言者はその場を立ち去られた。私はアブー・ジャハルに尋ねた。

『本当に、彼を信じないのですか』

彼は答えた。『本当は、彼が預言者だということは知っています。ただ、ハーシムの一族とは、昔から競い合いがあるのです。彼らは、我々のほうが優れていると言ってはばからない。その上、預言者も我々の中からだ、と言うのならば我慢できません』」[9]

クライシュ族の者たちが集まって相談し、ウズベ・ビン・レビを預言者の元に派遣することにした。ウズベは行って、説得し、預言者の布教活動を辞めさせることになっていた。この人物は、アラビア文学をよく知り、裕福であった。預言者の元に行き、彼なりに論理的な攻めをすべく、質問を始めた。

「ムハンマドよ。あなたと、あなたのお父さんとでは、どちらがより価値がありますか」

預言者はこの問いに答えなかった。というより、このような問いには最もふさわしい、沈黙という形で返事を返したと言えよう。ウズベは続けた。

「もし、あなたよりお父さんのほうが優れていると言うのなら、あなたのお父さんは、あなたが今価値を認めていない神たちを崇拝していたのですよ。もし、あなたのほうが優れていると言うのなら、ぜひお話しなさい。私も伺いましょう」

預言者は「言いたいことは全部すみましたか」と言われた。ウズベは『はい』と言い、黙ってしまった。預言者は、フッスィラ章を唱え始められた。

「それでも彼らが、背き去るならばいってやるがいい。『あなた方に、アードとサムードの(被った)落雷のような災害を警告する』」(フッスィラ章41/13)

に及んで、ウズベは耐えられなくなって、マラリア患者のように震え始めた。その手を預言者の口元に伸ばし、

「黙ってくれ、ムハンマドあなたが信じている神への愛にかけて、黙ってくれ」

と言った。そして去って行った。マッカの者たちは、結果を待ちわびていた。アブー・ジャハルは、ウズベの帰り方が気に入らなかった。「行った時と様子が違う」と周りの者と言い合っていた。ウズベはまっすぐに家に戻った。彼が聞いた章は、彼に隕石が衝突したかのような衝撃を与えていた。そのうち、アブー・ジャハルがやって来た。ウズベが信仰を選ぶことを恐れたのだった。彼はウズベの弱点を知っていた。自尊心を傷つけられることであった。アブー・ジャハルは行動に移った。

「ウズベよ。聞くところによるとムハンマドはあなたを褒め称え、食事を出し、もてなしたそうではないか。それであなたもいい気になって彼を信じるようになったんだと皆言っている」ウズベは腹を立てて言った。

「私が、彼に食べ物を恵んでもらわなければならないような人間ではないことは皆知っているはずだ。このあたりで一番裕福なのは私だ。ただ、ムハンマドの言ったことは私を驚かせた。詩でもないし、予言をする者の言葉のようでもない。何と言ったらいいのかわからないが、彼は正しいことを言う人だ。彼の言葉を聞いて、我々にも災害が起こるのではと怖くなったのだ」[10]

 


[1] Ibn Hisham, Sirah 1/191
[2] Ibn Kathir, al-Bidayah 2/298
[3] Bukhari, Bad’u l-Wahy 3
[4] Ibn Hanbal, Musnad 5/451
[5] Ibn Hajar, Isabah 2/320
[6] Ibn Hisham, Sirah 1/228-34
[7] Mukhtasar Tafsir Ibn al-Kathir, 1/140
[8] Bukhari, al-Anbiya’, Bab Khalq A’dam, 2
[9] Hindi, Kanz al-‘Ummal, 14/39-40; Ibn Kathir 3/83
[10] Ibn Kathir, al-Bidayah, 3/80-81; Ibn Hisham, Sirah, 1/313

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fethullah gulen hocaefendinin le monde makalesi 99d

ムスリムよ、自らのイスラーム理解を批判的に見直そうではないか

イラク・レバントのイスラム国(ISIL)と名乗るテロリストグループが犯している虐殺の数々に直面した私の抱く深い悲しみ、嫌悪感は、いくら言葉を尽くしても言い表すことができない。
勝手に歪曲したイデオロギーを宗教という名で包んでテロを引き起こす集団がいることに世界中のムスリム15億人はやりきれない鬱屈した感情を抱いているが、私もその一人である。我々ムスリムには他の市民と連携してこの世界をテロの災禍や暴力的な過激主義から救う特別な責務があるのみならず、我々自身の信仰になすりつけられた汚れたイメージの払拭に努める必要がある。
言葉やシンボルを用い、観念として特定のアイデンティティーを高らかに謳うことは容易いことだ。しかしそれが真実であるかどうかは唯一、標榜するアイデンティティーの本質的価値観に我々自身の行いを照らし合わせてみることで判じることができというものである。我々の信仰の試金石はスローガンや何かしら粉飾を施したものではない。この世に存在する主だった信仰のすべてに共通の、命の尊厳や人類に対する尊厳の尊重といった基本的価値観に従って生きることができているかどうかによって試されるのだ。
テロリストが吹聴するイデオロギーは断じて糾弾すべきである。そしてその代わりに、明確に確信を持って多元的なものの見方の浸透を図るべきだ。とどのつまり、個々の民族や国家、宗教といったアイデンティティーの前に来るのは人類という共通の立場である。その人類は残酷な行為が繰り広げられる度にますます苦境へと追いやられている。パリで亡くなったフランス国民、その一日前にベイルートで命を落としたシーア派ムスリムのレバノン国民、そして同じテロリストの手によって死に追いやられた無数のイラク在住スンニ派ムスリムは皆、人間という以外の何ものでもないのである。宗教や民族といったアイデンティティーに関係なく、どこの誰であれ人が被っている苦難を等しく不幸として自ら共感し、一様に断固たる態度を示すことができるようになるまで、我々の文明が発展を遂げることはないだろう。
同時にムスリムは陰謀論と決別すべきだ。この理論は今まで、我々が社会問題に直面する妨げでしかなかったからである。我々がすべきは真の問題に向かい合うことだ。我々の内に無意識に潜む権威主義、家庭内暴力、若者軽視、バランスのとれた教育の欠如といった社会的理由が原因で、全体主義的思考に染まるグループにとって人を勧誘しやすい素地が提供されることになってはいまいか。基本的人権や自由、法の支配の優位、社会における多元的思考といったものを我々が確立するのに失敗したせいで、他の選択肢を模索してもがく人々を生み出したのではないか。
先日のパリでの事件で神学者と一般信徒であるムスリムの双方は今一度、宗教の名のもとに画策される野蛮な行為を断固拒否し非難する必要性を認識することとなった。だが今、拒否と非難は十分ではない。ムスリム社会内で見られるテロリストの勧誘に対しては、国家権威と宗教指導者、そして市民社会が効果的に協働して立ち向かい、戦うべきである。広く社会全般の取り組みを結集させ、テロリスト勧誘を促進するあらゆる要因に立ち向かわなければならないのだ。
民主的手段に則った支持表明、異議申し立ての方法
我々は社会と協力して、危険性を孕む若者を見つけ出し、自滅的な道に進んでいくのを食い止め、家族に対してもカウンセリングやその他の支援活動で手を貸すための枠組みを立ち上げなければならない。対テロ対策を練り上げ意見交換する場にムスリム市民の当事者も参加できることを目指し、政府が前向きに、事前対策に関わっていくようになるのを推し進める必要もある。若者に対しては民主的手段に則った支持表明及び異議申し立ての方法が指導されるべきである。早い段階から民主的価値観について学校のカリキュラムに組み込まれることも若者の精神に民主主義の文化を植え付けるために不可欠であろう。
ああした悲劇の直後に強い反発が引き起こされるのは歴史の常である。反ムスリム、反宗教といった心情に留まらず、各国政府が治安重視を掲げてムスリム市民を対象に取り始めた措置は逆効果と言わざるを得ない。ヨーロッパ在住のムスリム市民も、平和と安寧のうちに暮らしたいと願っている。であるなら彼らも悲観的な空気に意気消沈せず、ムスリム共同体がさらに大きな共同体とよりよく融合していけるような受け入れ策を促進してもらえるよう、地方自治体及び政府に対して一層働きかけ努力すべきである。
我々ムスリムにとってもう一つ重要なことは、現代の状況や要請、そして歴史的経験の集大成から解明される諸事に照らし合わせて、我々のイスラームに対する理解・実践を批判的に見直すことだ。これはなにも、蓄積されたイスラームの伝統からの決裂を意味するものではなく、むしろムスリムの先人たちが明らかにしようとしたクルアーンとハディース(預言者の言行録)の真の教えを確認するために行う理知的な問いかけなのである。
歪んだイデオロギーに利用するため宗教的文献をその文脈から切り離して読むようなやり方についても、それを追いやる方向で積極的に動かねばならない。ムスリム思想家及び知識人は全体的アプローチを推進させ、中世のように宗教的帰属と所属政党が凡そ一致する状況で果てしない論争が繰り広げられていた時代にくだされた法的判断については再検討に付すべきであろう。核となる信念を持つことを教条主義と同列に扱ってはならない。宗教のエートスへの忠実を保ちながら、イスラームのルネッサンスに開花した思想の自由という精神を復興させることは可能であるし、何より絶対的に必要である。ムスリムが暴力の原因となる過激主義やテロと有効に戦うにはそうした雰囲気が醸成されてこそ可能となるのである。
こうした諸事件が起きた余波として最近、無念にも、文明の衝突論が再び頭をもたげてきているのを目撃している。そのような仮説を最初に提示した人物は先見の明があったからそれができたのか、もしくはそれを強く欲していたからかは分からない。確かなのは、今日このレトリックの復活はテロリスト・ネットワークによる勧誘活動を一層活発化させているにすぎない。はっきり申し上げるが我々が目撃しているのは文明同士の衝突などではなく、全人類の文明と野蛮さの衝突なのである。
ムスリムとしての我々の責務は、怒りにも心が折れることなく、解決策の一部となることである。全世界のムスリムの生命と市民権を守り、信仰の種類にかかわりなく全人類の平和と安寧を保持したいと願うのであれば、今すぐ行動に移し、暴力的な過激主義の問題に対して政治、経済、社会、宗教とあらゆる局面から取り組まなくてはならない。自らの生き方を通じて徳のある模範を示すこと、過激主義の視点からなされる宗教文献の解釈を疑い除外していくこと、その若者に与える影響に目を光らせていること、そして早い段階から民主主義の価値観を教育に盛り込んでいくことによって、我々は暴力やテロリズムに立ち向かっていけるともに、それにつながる全体主義的イデオロギーにも対処することができるであろう。

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ムスリムは過激派の「がん」と闘うべきである

テロを糾弾し、人権を擁護し、教育を推進する
自らを「イスラーム国」と名乗る、いわゆるISISとして知られているグループがいまだ中東で大虐殺を繰り広げる中、ムスリムは、同グループや他のテロリスト集団を駆り立てている全体主義的イデオロギーに立ち向かわざるをえない状況にいる。イスラームの名のもとに犯される一つ一つのテロ行為によって全ムスリムに深刻な影響がもたらされ、他の一般市民との関係が疎遠になったり、己の信仰の精神について誤解を深めることとなっているのだ。
暴力的な過激派の残虐性をイスラームに帰すのは正しくない。テロリストがムスリムであることを主張しても、そのアイデンティティーは名目上のものでしかありえない。ゆえに信仰を持つ人々はこの「がん」が社会のあちこちに転移するのを防ぐためにできる限りのことをすべきである。もしそれをしないのであれば、信仰のイメージが悪くなった責任の一端は我々にもある、ということになってしまうだろう。
まず我々は暴力を糾弾し、被害者意識に飲まれないようにすべきである。抑圧を受けたからといって被害者意識を持ったりテロを非難しないでいることを正当化することにはならないからである。テロリストがイスラームの名のもとに重大な罪を犯していることは何も私個人の見解というわけではない。聖典クルアーンと預言者ムハンマドの人生に関する伝承という主要な出典を素直に読めば必然的にそういう結論が導きだされるのだ。こうした出典に見いだされる核となる原則は、預言者の言行録や、聖典に書き著されている「作者の意図」の研究に身を捧げてきた学者たちによって何世紀もの間受け継がれてきた賜物であるが、テロリストたちが宗教的に正当化しようとしているいかなる主張をも一掃するものである。
次に、時に信奉者たちの多様な背景に応える柔軟性が悪用されることを鑑みて、イスラームの総合的な理解を促すことが重要である。しかしながらイスラームの核となる倫理に解釈の余地がないこともおさえなければならない。そうした原理の一つに、罪のない一人の人間の命を奪うことは全人類に対する犯罪に相当するというものがある(クルアーン5:32)。戦争で防御を図ることに関してでさえ、戦闘員以外への暴力、特に女性や子供、聖職者に対するものは預言者の教えによって明確に禁止されているのである。
我々は世界中の平和を希求する人々と団結してこうした価値観を提示していく必要があるだろう。人間の心理が持つ性質やニュースの重大性を鑑みれば、主流派の声が過激派のそれほどに大見出しとならないのは致し方ないことである。だからメディアを非難する代わりに、我々の声を届かせる革新的な方法を考え出すべきだ。
三つ目としてムスリムは、尊厳、生活、自由といった人権を公に推進していく必要がある。これらはイスラームに備わる最も基本的な価値であり、個人であれ政治、宗教指導者であれ、勝手に他人から取り上げる権利など持ってはいない。信仰の神髄を生きることは、文化的、社会的、宗教的そして政治的な多様性を尊重することを意味する。神は、互いに学びあうために多様性があると、その第一義的な目的を明らかにされている(クルアーン49:13)。神が創造されたものとして一人一人の人間を尊重すること(クルアーン17:70)は神を尊重することにもつながる。
四番目として、ムスリムには社会の構成員すべてに教育の機会を授ける必要性があり、ここで文系や理系、芸術といった学問は生きとし生けるものを尊重する文化の一部となっていなければならない。ムスリム諸国政府は民主主義的価値観を養うようなカリキュラムを策定すべきである。一方、市民社会の役割は尊敬と受容の念を育んでいくことである。ヒズメット運動参加者たちが150か国以上で1,000以上の学校や個別指導センター、対話機関を設立したのはこのことが理由なのだ。
五番目、ムスリムに宗教的教育を施すことによって、過激派がそのゆがんだイデオロギーを宣伝するために用いようとする手段を奪うことが非常に重要である。一部のムスリム世界で何十年間もみられているように宗教的自由が否定されると、信仰は闇の中で培われることとなり、きちんとした資格のない過激な人物の解釈に任されるままとなってしまう。
最後に、男女の等しい権利を推進することもムスリムにとって欠かせない。女性は機会が与えられ、平等を否定するような社会的圧力から解放されるべきである。ムスリムにとっては、預言者ムハンマドの妻であり、高い教育を受けた学者、教師、その時代の卓越した共同体指導者として生きたアーイシャという優れた例があるではないか。
テロリズムは多面的問題であり、政治、経済、社会、宗教のあらゆる層が解決に取り組む必要がある。問題を単なる宗教に狭めるやり方は、危険性をはらむ若者や世界全体に損害を与えかねない。国際社会は、ムスリムが事実上そして象徴的な意味においてもテロの主な犠牲者となっていることを認識し、同時に彼らがテロリストを追いやり勧誘活動を阻止する一助となることを理解するのが賢明というものである。だからこそ、諸国政府はムスリムの疎外を招くような声明の発表や行動を避けるべきなのだ。
暴力的な過激派のいるところに宗教はない。そこには常に信仰というテキストを操作する人々がいるだけである。クリスチャンがクルアーンを燃やす行為やクー・クラックス・クランの行いを是認するわけではないのと同様、また仏教徒がロヒンギャのムスリムに対する残虐行為を支持するわけではないのと同様に、一般的ムスリムも暴力を承認しているわけではない。
ムスリムは歴史的に見て文明の繁栄に大きく寄与してきた人々である。最も偉大な貢献がなされた時代とは、信仰によって相互尊重や自由、公正が大切にされていた時代であった。イスラームの汚名を返上するのは非常に困難であるかもしれない。しかしムスリムはそれぞれの社会で平和と安寧の案内役となれる人々である。

tr haber 16281 pakistan deprem 87a

心の病

真に信心深い人とは、同時に高い徳をも身につけている人のことである。その人の崇拝行為には見せかけはなく、行動には偽りがなく、その心には悪意やいがみがない。見せかけは人をアッラーから遠ざける。偽りは人をアッラーから、かつ人々から遠ざける。悪意は憎悪を、いがみは恨みを呼び起こす原因となる。

akademisyenler mefkure yolculugu kitabini muzakere etti 44c

内面と外面の一致

世界をただそうと努める人は、まず自らをただす必要がある。そう、まず彼らの内面が憎悪、敵意、嫉妬から、外面もあらゆる不適切な行動から清められることが必要である。それであってこそ、周囲への模範となれるのだ。自分の心をコントロールできない、我欲と格闘していない、感情世界を征服できていない人によって周囲に送られるメッセージは、それがどれほど輝かしいものであろうとも、人々の魂に興奮をもたらすことはなく、もしもたらしたとしても継続的な影響を及ぼすことはない。

dun irtica bugun camia 44f

恵み多い人生を生きる人たち

最も長い寿命を持つ人とは、たくさん生きた人のことではない。十分に活動し、この生から報奨を得ることができた人である。この基準で見るなら、100歳まで生きていても短い生ということもできるし、15歳の時に、獲得には何千年もかかるような恵みや美徳によってその頭を天に届かせた人々もいる。

verslaafd aan gemakzucht eb1

泣く時・笑う時

年を取るに従い、しもべであるという意識と一体化できない魂は、得をしているつもりで実は失っているものがあるという不幸に陥る。もしその人がこれを理解できれば、今日笑っている事柄に泣くだろう。後悔に頭を垂れるだろう。

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名誉

あからさまに名誉や貞節に対する敵対行為を行なう人は低俗であり、こっそりと行なう人はアッラーから恥じることを知らず、自らを知らずにいる卑俗な者である。そもそも、名誉や高潔さという感情を持たない者は、祖国への思いも持たない。

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不正な手段

偽りや誇張の上に造られたシステムは、例え長い寿命を持つものであったとしても、遅かれ早かれそれを守ろうとする人々の頭上に崩れ落ち、消え去る。つらい夢、空想として残るのみである。

Cikmadi Bahr 1

深いところ

人における感受性のあり方は、生き方、味わった苦しみ、困難さに比例して発達していく。ろくな苦労もせず、考えることも苦しみを味わうこともない人たちの感情世界は、他の経験同様、決して発達することがない。そういった人たちは、決して、全ての被造物と一体となれることもない。

Rabbim senin

恵みと、それを意識すること

アッラーは人々に、数え切れないほどの恵みを下さっている。これらのうち最も大きいものの1つは、その恵みを意識でいる、というものである。
健康は、健康な人の背にある貴重な恵みである。病気になった人のみがその価値を知る。
アッラーの、人々へ与えられた最大の恵みは、信仰という恵みである。この偉大な恵みへの感謝は、アッラーに対抗しないこととなる。
あらゆる恵みに対し、その恵みに応じた感謝を行なうことは、価値を理解できる、ということを意味する。
しばしば、無知な人々が幸福で豊かであり、英知を持つ人々が物質的な困難さを味わうということは、この世界の恵みが人の真の価値にふさわしい形ではもたらされてはいない、ということを示している
ある品の価格を知ることではなく、価値を知ることが大切である。
アッラーの恵みは、その偉大さの規模に適ったものであり、感謝の要求は、恵みとして与えられたものの価値に適うところとなる。
人をアッラーから遠ざけるような恵みは、最大の災いである。

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