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February 19, 2015

私の民主主義に対する立場は非常に明確です。国を転覆させようとするいかなる試みも、私たちの団結への裏切りであり、反逆です。
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フェトフッラー・ギュレン

私は50年以上にわたり、平和、相互尊重、利他主義の価値を説き、教えてきました。
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フェトフッラー・ギュレン

イスラムの信仰、礼拝、道徳、行動の基本的な原則は、時代の変化に影響されません。イスラムは特定の不変な政府形態を提案せず、それを形成しようともしません。イスラムはその名において神権政治を提供したことも、確立したこともありません。
Home » Collection for February 19, 2015

February 19, 2015

フェトフッラー・ギュレン

image 1

1分のハディースの分析

この世は木陰のようなものである, 「忍耐とは、災難の最初の衝撃を受けた時にあるものである」, 「無益なものを放棄することはイスラームの良さの一つである」

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Japanese (日本語)

フェトゥフッラー・ギュレン氏がウォールストリートジャーナルと行ったインタビュー, 夜明け前の闇, マディーナの薔薇

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muminlerin seref ve itibari 1
人生の指針

罪深い魂

人はしばしば、自分の心のレンズを通して他人を見る。それにおける霧や煙によって、全てを、全ての人々を曇った状態で見る。そういう状態で出した結論は、暗く、無慈悲なものとなる。こういった状態に陥った自己中心主義者は、周囲の全てがだめになったとみな図。しかし本当にだめになったのは、彼自身なのである。

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imtihan cesitleri 7ba
こわれた壷

様々な試練

質問:人に試練として降りかかる数多くの要素がありますが、特に現代を生きる信者にとって最も危険となる要素はどのようなものでしょうか?
答え:アッラーはご自身の規則に従い、人々にその生涯にわたってあらゆる種類の試練を与えます。こうして炭とダイヤモンドを分け、また石や砂から金を分別するように、人間も成熟したものと未熟なもの、また純粋なものをそうでないものから分けられます。同時にどの試練も、我々に自分自身のことを気づかせてくれる経験となります。つまりはるか太古にすでに我々の真の価値をご存知であられるアッラーは、試練を与えられることによって、我々が何をどこまで耐えることができるか、災難や辛苦に対してどのような態度を取るか、どこで忍耐しどこで逃げ出すか、どこで歯を食いしばって踏ん張るか、運命を非難することを意味する不服の態度をどこでとるかといったことを我々が自分自身で見られるようにしてくださいます。この世の試練によって人間は打ちのめされ、様々な圧延装置にかけられ、坩堝の中で溶かされるます。トルコの詩人であり修道士でもあったユヌス・エムレも「この道は長く、山脈も多い。山道はなく、行く手には深海が待っている」との表現によって、この真実を表しています。
試練の困難さは目標に比例する
アッラーは人々を様々な方法で試み、忍耐する者には吉報を伝えておられます。
「われは、恐れや飢え、と共に財産や生命、(あなたがたの労苦の)果実の損失で、必ずあなたがたを試みる。だが耐え忍ぶ者には吉報を伝えなさい」(雌牛章2:155)
これによれば、イバーダ(崇拝行為)によって人の精神的レベルが上がるように、受動的なイバーダとされるこの世での試練も、忍耐を放棄しなければ罪が清められ、崇高な高い地位へと人を上昇させるのです。であればアッラーが試練に次ぐ試練へと引き込み、様々な試練の要素で人を試みることに対して信者がなすべきは、こうした試練に対して歯を食いしばって耐えることです。またこうした状態を、自分自身に向き合い、自らの行いを今一度見直し、行動を評価しなおしてムハーサバ(自己批判、自問)を行う一機会であると知ることです。
結果として得られる報奨の大きさに応じて困難が増すことを考えるなら、当然、到達しようとする目的の大きさ、価値に応じて試練の度合いも強まります。例えば、人類への奉仕において殉教者となり人生の異なるレベルに飛び立つことはこの上ない特権です。しかしこの栄誉を獲得することはアッラーの道で奉仕し相当の痛みを引き受けられるかどうかにかかっています。そこには絶対的な自己犠牲があります。だからこそ、崇高な目的のために献身しその要件を満たそうと努力する人は、自らに降りかかるどのような困難や不幸にも耐えるべきです。そしてそれなりの忍耐を見せ、自分自身の欲求は脇へ押しやって人生を続けていかなければならないのです。
この事柄についてベディウッザマン師の叙述に耳を傾けてみましょう。「80年以上の我が生涯で、この世的な歓びを味わうことは何もなかった。私の生活は絶えず、戦場や刑務所、そして各地への追放と苦しみのうちに過ぎていった。受けたことのない拷問や苦難は残っていない。軍法会議にかけられては殺人犯のような扱いを受けた。放浪者のように一つの流刑地から別の地へと送られた。祖国の刑務所では何ヶ月も人と会うことを禁じられた。何回となく毒を盛られもした。ありとあらゆる侮辱も受けた。生より死をましと思ったことが幾度となくあった。我が宗教が自殺を阻んでいなかったら、このサイードは地面の下でとっくに朽ち果てていただろう」。このお方が被った試練がこれほどまでに厳しいものであったがゆえに、アッラーはこのお方を人間性の完成という頂へと引き上げてくださいました。彼が受けた苦難、そしてそれに対する忍耐が原因となって、アッラーはそのお優しさから彼を後世の人々にとっての導き手にしてくださったのかもしれません。
道の途中で立ち止まってしまう人も
この世での人生は最初から最後まで試練の連続ですが、困難や不幸のみで成り立っているわけではありません。物質的・精神的な成功や恩恵によっても試練に直面する場合があります。そうです、人はその人生において、目をくらませるような段階、局面を迎えることがあります。地位や肩書きといったある種のものは(アッラーがお守りくださることを願いますが)足をすくい、立ち寄った先々で拾ったウイルスや細菌は精神的な生に影響を与えかねません。まとめるなら人は立ち寄った先々で、ある時は容易さや心地よさによって、別の時には栄光、名声、地位、そして拍手喝采によって試練を受けることがあるのです。

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fedakarlik olcusu ve infakta denge ebc
こわれた壷

犠牲精神の度合いと寄付におけるバランス

質問:アッラーのためになされる犠牲に制限はありますか?人生を教育に捧げる人々にとって、物質的・精神的な犠牲の度合いとはどのようであるべきでしょうか?
答え:ご存知の通り、アッラーとの関係性という点において人々のレベルは同じではありません。その違いは地上のレベルから星のレベルまで様々です。言い換えれば、人はそれぞれの信仰やアッラーに関する知識、アッラーに対する愛情や熱意といったものに応じて、異なる度合いでアッラーとの関係を築いています。例えば、あらゆる宗教的義務を細心の注意を払って遂行するのに加え、追加的な任意の崇拝行為を行ってアッラーへの更なる近づきを得ようとする人々がいる一方、義務となる責任を果たすことで十分だと見なしている人々もいます。ですが確実に言えることは、人とアッラーとの関係性はどのようなレベルであれ、軽視されるべきではないということです。なぜならそれはアッラーが価値を置かれたものを軽んじることになるからです。さらに明確に説明するなら、誤った要素が溢れる現代という滑りやすい地上で、神の唯一性や信仰告白の言葉を述べ、日に5回の礼拝を捧げ、ラマダーン月の斎戒を行い、条件を満たすのであればザカートを支払い、マッカへの巡礼を行う人、そしてこれらすべてに加えてその人が、「誰それ派」とか「なんとか派」と呼ばれ様々な攻撃や非難に直面しても揺るぎない姿勢を維持しているのなら、それは非常に重要なことを行っているといえます。かかる状況下でなされる行いはどれも、アッラーの視点において大きく異なる価値を持っているため、このような人は来世でアッラーの永遠の恵みを享受することになると我々は信じています。ですから、自らの生命と財産を用いてアッラーのために奉仕に加わる人の犠牲はどれも見くびるべきではなく、貢献したことはなんであれ評価されるべきです。
いい仕事を評価することで激励する
この事柄を、アッラーのために何かを差し出すことという観点から見ると、教友たちの間にさえレベルの違いを見出すことができます。例えば、タブーク遠征を控えてムスリムたちに寄付が呼びかけられたとき、アブー・バクル様は自らの財産をすべて差し出されました。そしてアッラーの使徒が、家族のために何を残してきたかと尋ねられると、「アッラーとその使徒です」と答えられたそうです。これが「スィッディーク(誠実なる者)」たるレベルなのです。彼はアッラーとその使徒に忠実であり、イスラームを受け入れることに関して模範的ムスリムであられます。ウマル様はというと、彼は財産の半分を差し出されました。もちろん、ウマル様がアブー・バクル様に大きく引けを取ると言ったらそれは冒涜になります。アブー・バクル様の方が全体的な意味でより高徳であるものの、徳に関してウマル様のほうが勝っているとされる点がいくつかあるからです。またウスマーン様やアブドゥッラフマーン・イブン・アウフ様といった優れた教友の方々は500頭のラクダを差し出されました[1]。当時の状況を考えると、これは今日、高級車500台を寄付することに相当するでしょう。アリー様の場合、また別のイフラース(誠実さ)を加味されているのですが、財産の一部は公に差し出され、一部はひそかに寄付されました。寄付をオープンに行うことによって他の人々への模範を示す義務を果たし、また他の人に引けを取っていないことを示すことができた上に、暗に差し出すことによって彼はアッラーだけがそれをお知りになられることを望まれたのです。その他にも、特に始めの段階から、この良きキャラバンのためにいくばくかのお金や手に何杯か分のナツメヤシといったように出せるだけのものを差し出した人々がいました。実際、人々は常に自然とこのようにやってきたのです。財産のすべてを差し出す人もいれば、半分、四分の一、もしくは十分の一を差し出す人もいるのです。今日も同様に行われていることを忘れるべきではありませんし、ほんのわずかな犠牲であってもそれは評価され、拍手をもって迎えられるべきです。しかしわずかな犠牲にも評価し拍手を送ることは物事のほんの一側面であることにも注目しなければなりません。別の側面としては、常に人々の発展を手助けし、善へと続く新しい扉に導き、新たな目標を示し続けることが挙げられます。遂行すべき最低限の義務に加えて人が行うことのできる正しい行いは数多く存在します。ですから人は自らの地平線を狭めることなく、より高い理想を目指し続けるべきです。毎日朝が訪れたら、前日よりもさらに深くアッラーを感じられるよう、宗教の精神へのさらに深い洞察が得られるよう、アッラーの使徒様との心の絆を強められるよう、そして目標レベルを高めていけるように努力しなければなりません。自らが到達したレベルで十分だと見なさず、「もっとないか?」と言って自らの馬をさらに遠くへと駆り立るべきです。精神の旅路において「ファナー・フィッラー(アッラーにおける滅却)」や「バカー・ビッラー(アッラーによる、アッラーとの持続)」と呼ばれるような境地に達したとしても、すなわち「スブハートゥ=ル=ワジュフ(アッラーの御顔の神聖な光)」を前にして自らの全存在が視界から消え去ったとしても、死ぬ運命にあるもの、つかの間のものをすべて脇にのけ、己の物質的・この世的な側面を完全になくした後、永遠の形での存在を取り戻したとしても、そして心や魂、感情で異なる復活を経験したとしても、ひいては己の頭が霊的潜在能力の世界に到達したことを理解したとしても・・・これらすべてが起こったとしても地平線に向けて高みを目指し、「アッラーよ、私の可能性をはるかに超えた能力をお授けください。そしてその能力を開花させ、私の上にあなたのお恵みを降り注いでください!」と言うべきなのです。
個人的な宗教生活や精神的旅路、もしくはアッラーに奉仕する道といったものにおいて人々が異なるレベルであったとしても、一定の儀礼のうち最低限のレベルを実行している人にとって進歩の道は常に開かれています。自らが担当する奉仕の真髄を感じれば感じるほど、その奉仕に心底から打ち込むようになります。やるべき奉仕を繰り返し行ううち、それは心にも染み込んでいき、この善の行為は時間と共にその人の特質となっていきます。そのあまり、ある日その奉仕がもはや必要とされない時が訪れ、アッラーに仕えるために何かを頼まれることも、任務を背負わされることもなくなると、その人々は深い喪失感を味わい、あたかも死の状態であるかのように捉え、痛みのあまり前かがみになって、何かを差し出すための新たな道を模索し始めるのです。しかしながらこのようなレベルに達するかどうかは、時間や、能動的な忍耐をもって任務に従事すること、またその任務を自分のものとすることに関わっています。
相手をよく知ることが必要である
この事柄を考える上で別のアプローチがありますが、一部の人々はマディーナ時代を基本と捉え、義務となる戒律を履行することで十分と見なしています。財産の四十分の一もしくは年間の収穫高の十分の一に相当するものを支払えば義務を全うしたという考え方です。一方で、マッカ時代のやり方を基本として、できるだけのものを差し出そうとする人々もいます。この点に関して、他の人々に働きかけて奉仕に寄与するよう促そうとする指導的立場にいる人々にとって非常に重要となるのは、洞察力や見識をもって行動し、相手のことを良く理解するということです。為されている事柄を少ないと見なして人々に耐えられないほどの重荷を背負わせようとするなら、アッラーがお守りくださることを祈りますが、この圧力によって不本意感や疲労感、反感といった感情が引き起こされる可能性があります。ここで私の記憶の中で今日のことのように鮮やかさを保っているある出来事をお話ししたいと思います。トルコのイズミルにあるボズヤカ寄宿舎で寄付を呼びかけるために人々を集めたことがありました。この事柄の重要性についてスピーチを行った後、私は当時滞在していた部屋に向かって移動していました。そこへ一人の男性が私の後を追って素早く階段を上り、近づいてきました。国家機関で勤め上げたあと退職したこの人物のことを私は知っていました。彼は退職金で購入したアパートの鍵を私に渡して言いました。「下では皆、寄付の約束をしていますが、私にはこれ以外に資金がありません。ですから私はこのアパートの鍵を差し上げます」。私はこの感動的な光景を目の前にして、宗教にこのような責任はないのだと話し、鍵を返しました。そして「このアパートでお子さんと暮らしなさい。もしアッラーが後になってあなたに多くのものを与えてくださったら、その時にアッラーのために寄付なさればよい」と申し上げました。私の考えでは、この事柄がこうしたやり方で伝えられなければ、そしてバランスが保たれないのであれば、宗教の強制につながりかねません。実際のところ、アッラーは宗教には強制があってはならないと命じておられます(クルアーン 雌牛章 2:256)。イスラームを受け入れることにしろ、宗教のためになんらかの実践を受け入れることにしろ、何かをやる際に強制があってはなりません。イスラームは容易さを基本としています。人々が担える以上のことを要求してことを難しくするなら、宗教を実践不可能なものにしてしまうのです。そして意図したことと反対の方向へと導いてしまうことになるでしょう。あなた方は人々に寛大な行いを期待し一定の任務を負ってもらうことを望んでおきながら、宗教を実践困難なものとしてしまったがために、物事は逆の方向へと展開し、結果として敗者となってしまうのです。預言者様(彼に祝福と平安あれ)は「この宗教は容易であり、誰であれそれを難しくするなら宗教がその者を圧倒するだろう」と仰っています[2]。ですから、他の人々を指導する立場にある人々は相手にする人々を良く知る必要があり、誰がどの程度担えるかを理解しながら洞察力と見識をもって行動しなければならないのです。こうした賢明な行動に従うことは同時にアッラーの作法に従うことをも意味するということを忘れてはなりません。クルアーンで「アッラーは誰にも、その能力以上のものを負わせられない」(雌牛章 2:286)と述べられている通りです。このように、人々に負いきれないほどの荷を課すのではなく、人々が行った良い仕事を評価することで喜ばせ、さらなる意欲を起こさせる方法を見つけていくことが必要なのです。
寄付における継続性
実際、人々にもっと出すよう強制して手元の資金を奪うことは彼らの事業を行き詰らせる原因となります。しかし事業を営ませ拡大させることで彼らにとって後にアッラーのためにさらなる寄付を行うことが可能となります。このことから、寄付に関して英雄的である人々が熱意を示し手元にあるものをすべて差し出したとしても、受け取る側はバランスを保ち、長期的な先行きを考え、継続的に差し出すことを優先させるべきです。<br

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fethullah gulen hocaefendinin le monde makalesi 99d

ムスリムよ、自らのイスラーム理解を批判的に見直そうではないか

  • December 25, 2015
イラク・レバントのイスラム国(ISIL)と名乗るテロリストグループが犯している虐殺の数々に直面した私の抱く深い悲しみ、嫌悪感は、いくら言葉を尽くしても言い表すことができない。 勝手に歪曲したイデオロギーを宗教という名で包んでテロを引き起こす集団がいることに世界中のムスリム15億人はやりきれない鬱屈した感情を抱いているが、私もその一人である。我々ムスリムには他の市民と連携してこの世界をテロの災禍や暴力的な過激主義から救う特別な責務があるのみならず、我々自身の信仰になすりつけられた汚れたイメージの払拭に努める必要がある。 言葉やシンボルを用い、観念として特定のアイデンティティーを高らかに謳うことは容易いことだ。しかしそれが真実であるかどうかは唯一、標榜するアイデンティティーの本質的価値観に我々自身の行いを照らし合わせてみることで判じることができというものである。我々の信仰の試金石はスローガンや何かしら粉飾を施したものではない。この世に存在する主だった信仰のすべてに共通の、命の尊厳や人類に対する尊厳の尊重といった基本的価値観に従って生きることができているかどうかによって試されるのだ。 テロリストが吹聴するイデオロギーは断じて糾弾すべきである。そしてその代わりに、明確に確信を持って多元的なものの見方の浸透を図るべきだ。とどのつまり、個々の民族や国家、宗教といったアイデンティティーの前に来るのは人類という共通の立場である。その人類は残酷な行為が繰り広げられる度にますます苦境へと追いやられている。パリで亡くなったフランス国民、その一日前にベイルートで命を落としたシーア派ムスリムのレバノン国民、そして同じテロリストの手によって死に追いやられた無数のイラク在住スンニ派ムスリムは皆、人間という以外の何ものでもないのである。宗教や民族といったアイデンティティーに関係なく、どこの誰であれ人が被っている苦難を等しく不幸として自ら共感し、一様に断固たる態度を示すことができるようになるまで、我々の文明が発展を遂げることはないだろう。 同時にムスリムは陰謀論と決別すべきだ。この理論は今まで、我々が社会問題に直面する妨げでしかなかったからである。我々がすべきは真の問題に向かい合うことだ。我々の内に無意識に潜む権威主義、家庭内暴力、若者軽視、バランスのとれた教育の欠如といった社会的理由が原因で、全体主義的思考に染まるグループにとって人を勧誘しやすい素地が提供されることになってはいまいか。基本的人権や自由、法の支配の優位、社会における多元的思考といったものを我々が確立するのに失敗したせいで、他の選択肢を模索してもがく人々を生み出したのではないか。 先日のパリでの事件で神学者と一般信徒であるムスリムの双方は今一度、宗教の名のもとに画策される野蛮な行為を断固拒否し非難する必要性を認識することとなった。だが今、拒否と非難は十分ではない。ムスリム社会内で見られるテロリストの勧誘に対しては、国家権威と宗教指導者、そして市民社会が効果的に協働して立ち向かい、戦うべきである。広く社会全般の取り組みを結集させ、テロリスト勧誘を促進するあらゆる要因に立ち向かわなければならないのだ。 民主的手段に則った支持表明、異議申し立ての方法 我々は社会と協力して、危険性を孕む若者を見つけ出し、自滅的な道に進んでいくのを食い止め、家族に対してもカウンセリングやその他の支援活動で手を貸すための枠組みを立ち上げなければならない。対テロ対策を練り上げ意見交換する場にムスリム市民の当事者も参加できることを目指し、政府が前向きに、事前対策に関わっていくようになるのを推し進める必要もある。若者に対しては民主的手段に則った支持表明及び異議申し立ての方法が指導されるべきである。早い段階から民主的価値観について学校のカリキュラムに組み込まれることも若者の精神に民主主義の文化を植え付けるために不可欠であろう。 ああした悲劇の直後に強い反発が引き起こされるのは歴史の常である。反ムスリム、反宗教といった心情に留まらず、各国政府が治安重視を掲げてムスリム市民を対象に取り始めた措置は逆効果と言わざるを得ない。ヨーロッパ在住のムスリム市民も、平和と安寧のうちに暮らしたいと願っている。であるなら彼らも悲観的な空気に意気消沈せず、ムスリム共同体がさらに大きな共同体とよりよく融合していけるような受け入れ策を促進してもらえるよう、地方自治体及び政府に対して一層働きかけ努力すべきである。 我々ムスリムにとってもう一つ重要なことは、現代の状況や要請、そして歴史的経験の集大成から解明される諸事に照らし合わせて、我々のイスラームに対する理解・実践を批判的に見直すことだ。これはなにも、蓄積されたイスラームの伝統からの決裂を意味するものではなく、むしろムスリムの先人たちが明らかにしようとしたクルアーンとハディース(預言者の言行録)の真の教えを確認するために行う理知的な問いかけなのである。 歪んだイデオロギーに利用するため宗教的文献をその文脈から切り離して読むようなやり方についても、それを追いやる方向で積極的に動かねばならない。ムスリム思想家及び知識人は全体的アプローチを推進させ、中世のように宗教的帰属と所属政党が凡そ一致する状況で果てしない論争が繰り広げられていた時代にくだされた法的判断については再検討に付すべきであろう。核となる信念を持つことを教条主義と同列に扱ってはならない。宗教のエートスへの忠実を保ちながら、イスラームのルネッサンスに開花した思想の自由という精神を復興させることは可能であるし、何より絶対的に必要である。ムスリムが暴力の原因となる過激主義やテロと有効に戦うにはそうした雰囲気が醸成されてこそ可能となるのである。 こうした諸事件が起きた余波として最近、無念にも、文明の衝突論が再び頭をもたげてきているのを目撃している。そのような仮説を最初に提示した人物は先見の明があったからそれができたのか、もしくはそれを強く欲していたからかは分からない。確かなのは、今日このレトリックの復活はテロリスト・ネットワークによる勧誘活動を一層活発化させているにすぎない。はっきり申し上げるが我々が目撃しているのは文明同士の衝突などではなく、全人類の文明と野蛮さの衝突なのである。 ムスリムとしての我々の責務は、怒りにも心が折れることなく、解決策の一部となることである。全世界のムスリムの生命と市民権を守り、信仰の種類にかかわりなく全人類の平和と安寧を保持したいと願うのであれば、今すぐ行動に移し、暴力的な過激主義の問題に対して政治、経済、社会、宗教とあらゆる局面から取り組まなくてはならない。自らの生き方を通じて徳のある模範を示すこと、過激主義の視点からなされる宗教文献の解釈を疑い除外していくこと、その若者に与える影響に目を光らせていること、そして早い段階から民主主義の価値観を教育に盛り込んでいくことによって、我々は暴力やテロリズムに立ち向かっていけるともに、それにつながる全体主義的イデオロギーにも対処することができるであろう。
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ムスリムは過激派の「がん」と闘うべきである

  • September 7, 2015
テロを糾弾し、人権を擁護し、教育を推進する 自らを「イスラーム国」と名乗る、いわゆるISISとして知られているグループがいまだ中東で大虐殺を繰り広げる中、ムスリムは、同グループや他のテロリスト集団を駆り立てている全体主義的イデオロギーに立ち向かわざるをえない状況にいる。イスラームの名のもとに犯される一つ一つのテロ行為によって全ムスリムに深刻な影響がもたらされ、他の一般市民との関係が疎遠になったり、己の信仰の精神について誤解を深めることとなっているのだ。 暴力的な過激派の残虐性をイスラームに帰すのは正しくない。テロリストがムスリムであることを主張しても、そのアイデンティティーは名目上のものでしかありえない。ゆえに信仰を持つ人々はこの「がん」が社会のあちこちに転移するのを防ぐためにできる限りのことをすべきである。もしそれをしないのであれば、信仰のイメージが悪くなった責任の一端は我々にもある、ということになってしまうだろう。 まず我々は暴力を糾弾し、被害者意識に飲まれないようにすべきである。抑圧を受けたからといって被害者意識を持ったりテロを非難しないでいることを正当化することにはならないからである。テロリストがイスラームの名のもとに重大な罪を犯していることは何も私個人の見解というわけではない。聖典クルアーンと預言者ムハンマドの人生に関する伝承という主要な出典を素直に読めば必然的にそういう結論が導きだされるのだ。こうした出典に見いだされる核となる原則は、預言者の言行録や、聖典に書き著されている「作者の意図」の研究に身を捧げてきた学者たちによって何世紀もの間受け継がれてきた賜物であるが、テロリストたちが宗教的に正当化しようとしているいかなる主張をも一掃するものである。 次に、時に信奉者たちの多様な背景に応える柔軟性が悪用されることを鑑みて、イスラームの総合的な理解を促すことが重要である。しかしながらイスラームの核となる倫理に解釈の余地がないこともおさえなければならない。そうした原理の一つに、罪のない一人の人間の命を奪うことは全人類に対する犯罪に相当するというものがある(クルアーン5:32)。戦争で防御を図ることに関してでさえ、戦闘員以外への暴力、特に女性や子供、聖職者に対するものは預言者の教えによって明確に禁止されているのである。 我々は世界中の平和を希求する人々と団結してこうした価値観を提示していく必要があるだろう。人間の心理が持つ性質やニュースの重大性を鑑みれば、主流派の声が過激派のそれほどに大見出しとならないのは致し方ないことである。だからメディアを非難する代わりに、我々の声を届かせる革新的な方法を考え出すべきだ。 三つ目としてムスリムは、尊厳、生活、自由といった人権を公に推進していく必要がある。これらはイスラームに備わる最も基本的な価値であり、個人であれ政治、宗教指導者であれ、勝手に他人から取り上げる権利など持ってはいない。信仰の神髄を生きることは、文化的、社会的、宗教的そして政治的な多様性を尊重することを意味する。神は、互いに学びあうために多様性があると、その第一義的な目的を明らかにされている(クルアーン49:13)。神が創造されたものとして一人一人の人間を尊重すること(クルアーン17:70)は神を尊重することにもつながる。 四番目として、ムスリムには社会の構成員すべてに教育の機会を授ける必要性があり、ここで文系や理系、芸術といった学問は生きとし生けるものを尊重する文化の一部となっていなければならない。ムスリム諸国政府は民主主義的価値観を養うようなカリキュラムを策定すべきである。一方、市民社会の役割は尊敬と受容の念を育んでいくことである。ヒズメット運動参加者たちが150か国以上で1,000以上の学校や個別指導センター、対話機関を設立したのはこのことが理由なのだ。 五番目、ムスリムに宗教的教育を施すことによって、過激派がそのゆがんだイデオロギーを宣伝するために用いようとする手段を奪うことが非常に重要である。一部のムスリム世界で何十年間もみられているように宗教的自由が否定されると、信仰は闇の中で培われることとなり、きちんとした資格のない過激な人物の解釈に任されるままとなってしまう。 最後に、男女の等しい権利を推進することもムスリムにとって欠かせない。女性は機会が与えられ、平等を否定するような社会的圧力から解放されるべきである。ムスリムにとっては、預言者ムハンマドの妻であり、高い教育を受けた学者、教師、その時代の卓越した共同体指導者として生きたアーイシャという優れた例があるではないか。 テロリズムは多面的問題であり、政治、経済、社会、宗教のあらゆる層が解決に取り組む必要がある。問題を単なる宗教に狭めるやり方は、危険性をはらむ若者や世界全体に損害を与えかねない。国際社会は、ムスリムが事実上そして象徴的な意味においてもテロの主な犠牲者となっていることを認識し、同時に彼らがテロリストを追いやり勧誘活動を阻止する一助となることを理解するのが賢明というものである。だからこそ、諸国政府はムスリムの疎外を招くような声明の発表や行動を避けるべきなのだ。 暴力的な過激派のいるところに宗教はない。そこには常に信仰というテキストを操作する人々がいるだけである。クリスチャンがクルアーンを燃やす行為やクー・クラックス・クランの行いを是認するわけではないのと同様、また仏教徒がロヒンギャのムスリムに対する残虐行為を支持するわけではないのと同様に、一般的ムスリムも暴力を承認しているわけではない。 ムスリムは歴史的に見て文明の繁栄に大きく寄与してきた人々である。最も偉大な貢献がなされた時代とは、信仰によって相互尊重や自由、公正が大切にされていた時代であった。イスラームの汚名を返上するのは非常に困難であるかもしれない。しかしムスリムはそれぞれの社会で平和と安寧の案内役となれる人々である。
tr haber 16281 pakistan deprem 87a

心の病

  • March 11, 2015
真に信心深い人とは、同時に高い徳をも身につけている人のことである。その人の崇拝行為には見せかけはなく、行動には偽りがなく、その心には悪意やいがみがない。見せかけは人をアッラーから遠ざける。偽りは人をアッラーから、かつ人々から遠ざける。悪意は憎悪を、いがみは恨みを呼び起こす原因となる。
akademisyenler mefkure yolculugu kitabini muzakere etti 44c

内面と外面の一致

  • March 11, 2015
世界をただそうと努める人は、まず自らをただす必要がある。そう、まず彼らの内面が憎悪、敵意、嫉妬から、外面もあらゆる不適切な行動から清められることが必要である。それであってこそ、周囲への模範となれるのだ。自分の心をコントロールできない、我欲と格闘していない、感情世界を征服できていない人によって周囲に送られるメッセージは、それがどれほど輝かしいものであろうとも、人々の魂に興奮をもたらすことはなく、もしもたらしたとしても継続的な影響を及ぼすことはない。
dun irtica bugun camia 44f

恵み多い人生を生きる人たち

  • March 11, 2015
最も長い寿命を持つ人とは、たくさん生きた人のことではない。十分に活動し、この生から報奨を得ることができた人である。この基準で見るなら、100歳まで生きていても短い生ということもできるし、15歳の時に、獲得には何千年もかかるような恵みや美徳によってその頭を天に届かせた人々もいる。
verslaafd aan gemakzucht eb1

泣く時・笑う時

  • March 10, 2015
年を取るに従い、しもべであるという意識と一体化できない魂は、得をしているつもりで実は失っているものがあるという不幸に陥る。もしその人がこれを理解できれば、今日笑っている事柄に泣くだろう。後悔に頭を垂れるだろう。
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