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February 13, 2015

私の民主主義に対する立場は非常に明確です。国を転覆させようとするいかなる試みも、私たちの団結への裏切りであり、反逆です。
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フェトフッラー・ギュレン

私は50年以上にわたり、平和、相互尊重、利他主義の価値を説き、教えてきました。
Home » Collection for February 13, 2015

フェトフッラー・ギュレン

イスラムの信仰、礼拝、道徳、行動の基本的な原則は、時代の変化に影響されません。イスラムは特定の不変な政府形態を提案せず、それを形成しようともしません。イスラムはその名において神権政治を提供したことも、確立したこともありません。
Home » Collection for February 13, 2015

February 13, 2015

フェトフッラー・ギュレン

image 1

1分のハディースの分析

アッラーの唯一性を説く言葉, 過ちを清め、人を更なる段階に高める信仰行為, あなたを見ているかのようにアッラーに従うこと

View 1分のハディースの分析

Japanese (日本語)

真実のしずく 12, 不正, 不正な手段

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peygambere hakaret edene bariscil tepki nasil gosterilir ba1
人生の指針

意見を聞くこと

意見のやりとりは、限られた知恵、限られた思考を無限にまで高める重要な手段である。
意見のやりとりほど豊かな国家はなく、意見のやりとりほど強い軍隊もない。
教友たちが賞賛される時、他のどの特性でもなく、「彼らは全てのことを、相談しあうことを経て行なった」という特性によって思い起こされる。
利 な人よりももう数歩分、利 な人とは、他人の知恵や考えに重きを置く人である。
考えのさびを落とす最良の特効薬は意見のやりとりをすることである。
二つの知恵は一つの知恵よりも尊いものであり、何百もの知恵はさらに一つの知恵よりも尊い。意見を聞くとは、知恵が集合することを意味するのだ。
自分の知能を信用し、他人の考えを問わない人は、天才的な頭脳の持ち主であったとしても、判断に深さを獲得させるものである相談を放棄しているという点で、知恵のない者と見なされる。

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fethullah gulen inancsizliktaki israrin sebepleri e72
こわれた壷

不信仰に固執する原因

質問: 不信仰は人の心の中で深い空虚感や不安感として現れますが、それでも多くの人々はそれに固執しています。この理由は何でしょうか?
答え:不信仰は、人生をいつ何時何が起こるか分からない混沌とした恐ろしい戦場のように思わせ、死を永遠の破壊と見なさせるもので、決して魅力的なものではありません。人間にとって潜在的脅威を伴う絶え間ない不安の元であり、恐ろしい断崖、空洞です。人の目や耳を塞がせてしまうある種の弱さがいくつかあり、それに囚われるとこれ以上ないほど明白な真実を認めようとしなかったり、信仰を持たなかったり、否定に向かって漂流することとなり得ます。この点について以下で取り上げていきます。
傲慢さ
自分自身を偉大だと見なす人間はアッラーの前に頭を垂れることを拒否することがあります。しかし聖なるハディースで述べられているように、
اَلْكِبْرِيَاءُ رِدَائِي وَالْعَظَمَةُ إِزَارِي فَمَنْ نَازَعَنِي وَاحِدًا مِنْهُمَا قَذَفْتُهُ فِي النَّارِ<br

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fethullah gulen din adina islenen cinayetlerin vebali d22
こわれた壷

宗教の名のもとに犯される殺人の深刻な影響-2

オスマン帝国の崩壊後、イスラーム世界では様々な崩壊が立て続けに起こりました。今日、ムスリムが自らの足で立ち上がり、自らの魂を探し出そうという試みが新たに始まっています。イスラーム世界の全体像ではなく、トルコを一例に見ただけでも、過去とは異なってきており、ここ四、五十年で大きな変化が発生してきていることに気付くでしょう。イスラーム世界におけるこうした発展や変化に阻害された一部の勢力が、自らの宗教に備わる本当の基準というものを知らず感情と偏執的優越心の赴くままに行動する無知な人々を扇動して、自分たちの卑劣な目的のためにこうした人々を操ろうとしています。
被害妄想の必要性と欺かれた大衆
残念ながら、イスラーム圏に住む人々のすべてが、バランスの取れた考え方をし、自らの源についての十分な知識を備えるといった分別を持ち合わせているわけではないのが現実です。自分たちに都合の良い世論を形成するために、被害妄想を誘発させ、世界中の大衆を扇動しようとする勢力は、無知や貧困に端を発するこうした弱さをムスリムの中に見出し、自分たちの策略を隠蔽するためにストーリーを作り出し、おあつらえ向きな人物を欺くか向精神薬を使ってロボット化させて、その企てにおけるエキストラに仕向けることを行っているのです。無知を余儀なくされ、なおざりにされた世代を悪用し、ひいては大衆を惑わせているのです。このような欺きから救われるには我々の免疫システムを強く保つしかありません。ウイルスや細菌に対抗できる健康な体があれば、そのどれにも打ち勝つことができるでしょう。しかし免疫システムに深刻な不備があり、体が倒れるようにと絶え間なくウイルスを挿入しようとする人々がいたら、それを阻止することなどできないでしょう。
ですから世界が縮小してきている我々の時代、預言者の道を歩もうとするムスリムであれば、より賢明に行動し、一歩踏み出す前に良く考え、自らの発言がもたらす結果を熟考し、その言葉が相手方にどういった感情を引き起こすかをよく考えなければいけません。話し始める前に賛否両論を検討し、発言のもたらす結果を10回は慮ることなくして一言も発するべきではないでしょう。特に、全体の必要性を代弁する立場にある人々は、一層の注意深さをもって行動するべきです。間違いを犯した場合、その結果のつけは、その一団全体にまわってくるからです。例えばごく普通の一人の男性が、「これこれの人々があなた方のモスクを汚したんですよ、だからあなた方も行って彼らのモスクに同じことをしなさい」というようなことを言ったとしても、誰も真に受けないでしょう。しかし発言に影響力のある地位にある人物が情緒不安定で同じようなことを言ったとしたら、重大な受け止め方をされ、修復困難な破壊を引き起こしかねません。勇敢さ、勇気と並んで、健全な知識、英知、明敏さ、洞察力に欠けるなら、その人の勇敢さや勇気といったものは並ならぬ狂気へと至らしめ、犯した過ちを改めるのも不可能なほどとなるでしょう。この点に関して、我々が被っている災難の責任を相手側だけに押し付けるのは正しくありません。ごく初期の時代から、イスラームの美点が実践されたり人の目に触れたりするのを阻止しようと目論む人々はそうした策略を行動に移そうとしてきています。正しく導かれたカリフたちや、彼らを範とした洞察力に富む統治者たちはそれが起こることを許しませんでした。しかし特にここ2、3世紀の間、外部からの分子が自らの目的におあつらえ向きの人物を操作するのに成功し、残念なことに燦然と輝くイスラームの顔は台無しにされています。いわゆる宗教の名の下に犯されている今日の残虐行為と同様のものを、イスラームの歴史はかつて一度も目撃したことはなかったのではないでしょうか。ある時代にはムワッヒディーンが、ある時代にはカルマト派が、別の時代にはバーティニーヤ派といったように異なる時代に様々なグループが忌まわしい行為に及んだこともありました。しかしこれらのグループでさえ生ける爆弾となったり自爆攻撃をして、女性や老人、子どもなどの大量殺人を引き起こすようなことはなかったのです。
信者となる奮闘の道
この点に関して一つ、私自身の思い出についてお話ししましょう。私を訪ねてきたある方がイスラモフォビア(イスラーム恐怖症)について話す中で、欧米人はムスリムのことを怪物のように見なしている、彼らは風刺画や新聞、テレビ番組を使ってイスラームを誹謗しようとしている、と仰いました。それに対して私は、そうしたイスラームに対する攻撃に対抗して人々が感情的に反応し、イスラームと決して相容れないある種の振る舞いを見せることがいかに過ちか、また自分たちが完全に潔癖であると言い切ることはあまり正しくない、と答えました。予期せぬ答えが返ってきて彼は驚きましたが、それは紛れもない事実なのです。為された悪に反応する際、我々は信者となるべく格闘する道をとるべきです。そうでないと、誤った行いが地球上の全ムスリムを困難な状況に追い込みかねません。なぜならそうした行いは、ある種のグループに、ムスリムに対して用いるための兵器を与えるようなものだからです。ではどういった行動に出るべきかといえば、我々の示す態度やマナーが我々の名誉を表すものであると考え(ひいては細心の注意をもって行動し)、我々の宗教に備わる極めて重要な指針に従ってそうした攻撃をかわすべきです。
残虐行為を行う者にイスラーム信仰者としての立場はない
暴力や憤怒を通じて人々に宗教を愛させることなどどうしてできましょうか。宗教は次のような言葉で定義されてきました。「宗教とは、アッラーが定められたシステムの集大成であり、それゆえ理性を持つ人は自らの意志によって善へと導かれるのである。」[1] 私にはこの宗教の定義が、高度に発達した民主主義をもしのぐ考察であると思えます。なぜならここでは人間の自由意志に基本が置かれ、個々人がその自由意志に任されているからです。人間には、善行を行い善の良さを認識する潜在力が授けられているというのがイスラームの考え方です。宗教が正しい方向で体現され、宗教が将来に約束している数々の美が実証されたとしたら、人々は喜んでそれを受け入れるでしょう。もしあなた方が宗教の美しさを実際に示すことができ、それを好む気持ちを育ませ、心の中にそれに対する切望を引き起こすことができれば、人々は自分の自由意志で宗教を選び取ることとなるのです。誰もそれに口を挟むことなどできないでしょう。自らが望む宗教を選択する自由はすべての人に備わっています。大切なのはその表現が美しくあることです。人類の誉れであられるお方(彼に祝福と平安あれ)の優れた点の一つが、アッラーからのメッセージを言葉で伝えると同時に、ご自身をお手本として示されたことです。ご自身が教えられた美徳の一つ一つを完璧なまでに正しく体現なされ、それゆえに人々の心に愛情、尊敬の念を植えつけたのでした。
はるか昔には、彼のウンマの一員である我々も、そのような美徳を体現していた時代がありました。それがここ数世紀の間に堕落してしまったのです。そして残念なことに、宗教の名の下に多くの悪事を働く人々さえ現れました。ですが事実上、残虐行為を働く人間がムスリムとしての資質を担っているとはいえません。以前、様々な文脈で言及されている通り、テロリストがムスリムであるはずがなく、ムスリムはテロリストであり得ないのです。たとえテロリストがムスリムの間から出現したとしても、そうした人物はムスリムとしての特質を失っているという意味になります。ですからその人物を健全なムスリムだとは見なせません。そのようなことがどうしてあり得ましょう。戦時でさえ、ある一定のルールが存在するのです。アッラーの使徒は、ある軍隊が軍事行動に出発する際、女性や子ども、礼拝所に避難した人々に危害を加えることをイスラームが禁じていることを述べました。このことから、今日宗教の名の下に犯されている殺人とクルアーンやスンナの教えを一致させることなど、到底あり得ないことなのです。
結論として我々がなすべきことは、宗教を正しく体現することと並んで、すべての人に尊敬の念を持って接すること、そしてどんな見解にも尊重を示すことです。と言うのも、自らの秩序を他者に押し付けて受け入れさせようとするのは宗教の精神に反することだからです。銃を持ち、残虐な部隊を組んで大挙して押し寄せたり、勝手に戦争を宣言してショッピングモールを占拠したり、無実の人々を人質に取ることなどイスラームと相容れないことです。平和と博愛の宗教を信奉する者として我々は、悪に対して同様のもので呼応するという主義は非人道的であるとみなし、報復的な反応を取って残虐行為を犯すことを拒絶します。そして非人間的な行為に対しては、たとえ大きな困難を伴うとしても、高潔な態度で応じることを選びます。真の信者はそうした挙動に訴えるようなレベルには落ちないし、落ちることなどあり得ないのです。<br

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fethullah gulen din adina islenen cinayetlerin vebali d22
こわれた壷

宗教の名のもとに犯される殺人の深刻な影響-1

質問:宗教の名のもとで一部の集団が犯している殺人、自爆攻撃およびその他の暴力的行為は、単にその上層部に操作されてのことだと説明できるでしょうか?ムスリムの住む地域でも同様の行為が発生していることの理由はなんでしょうか?
答え:ムスリムの見せ掛けをした一部の人々が、爆弾を積み込んだ車両を使って無辜の人間を殺したり、崇拝の場所に同様の攻撃を仕掛けたりしています。これはクルアーンや預言者(彼に祝福と平安あれ)のスンナ、もしくはムスリムであることとはなんら関係のないことです。悲惨なことに、今日こうした事件が発生しては信仰する者たちを非常に困惑させ、悲しませることとなっています。外国の勢力によって密かに行われ組織された操作があることも事実ですが、イスラームを誤って理解、解釈することから生じる、こうした宗教を装って行われるテロ行為は、イスラーム世界に対してなされた十字軍やモンゴル軍の攻撃よりもなお悪いと言わざるを得ません。これら誤った行いや殺人はイスラームの顔に泥を塗り、さらに甚大な損害を引き起こしているからです。
誤解された勇敢さ、勇気
控えめに意見を述べさせてもらうとするなら、我々の時代にそうした事件を引き起こしている誤った理解、解釈の最たるものが、見当違いの勇敢さ、勇気です。信仰を持つ人間は心に勇気を持たなくてはなりませんが、そこには英知と洞察もなければなりません。信仰者は他者に安心と信頼の感情を抱かせるべく確固たる姿勢を取る必要があります。どのような状況下であれ常に宗教の重要な指針に合致して行動するべきであり、合法的な結末は合法的な手段のみを通じて求められることを決して忘れるべきではありません。別の言い方をすれば、真の勇敢さや勇気というものは、ムスリムとして信念に従って行動し己の価値観を守ることについて堅固な姿勢を確保し、常に公正さという地面の上に立ち、不公平な扱いを受けたとしても目指しているもののためにあらゆる種類の困難に耐えることを意味します。
この観点から預言者様の時代を見てみると、人類の誉れであられるお方やお側で彼を支えた教友たちは、マッカで過ごした13年間、我々がほとんど耐えられないような多くの物事に耐えてらっしゃったことが分かります。あまりのことに、教友の方々は大抵いつでも目に一杯の涙をためながら、一方で期待を込めてアッラーの無限の力に思いを馳せ、他方でかれが人類への慈悲として送られた祝福された使徒様に目を向け、天与のメッセージに従った者たちに対してなされる事柄にも目を向けて、目の前の出来事に関する英知を理解することができないまま、それでも
مَا اَحْلَمَكَ يَا رَبَّنَا
「あなたはなんとお優しいお方でしょう、主よ」と述べたそうです。ある日、人類の誉れであられるお方がカアバ神殿の前で額づいていると、拒絶と無知に凝り固まった人々がラクダの胎盤を彼の上に乗せたことがありました[1]。過酷な迫害者たちから石を投げつけられたことも何度もありましたが、その報いとして相手方に石の雨が降り注ぐよう呪ったことは一度もありませんでした。それどころか、石を投げつけたり、ご自身の歯を折ったり、頬に傷を負わせ、頭を血だらけにさせた者たちのために手を掲げて、
اَللّٰهُمَّ اهْدِ قَوْمِي

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こわれた壷

イードに関する熟考

質問:聖なる祝いの日であるイードの歓びを十分に味わうために何をお勧めされますか?また宗教が推奨しているところに従ってイードの恩恵を受けるにはどうしたらよろしいでしょうか?
答え:イスラームにおいて、崇拝もしくは物事の一つ一つの形にはそれ独自の意味合いが備わっています。その意味合いを深く感じられるかどうかはまず人の信仰次第であり、それに引き続きその人が、恩恵のありがたみを忘れてしまいがちな人間の性向に対して意志を有効に働かせ、再生しようとする努力にも左右されます。自らの信仰や思考を常に刷新することのできる人はあらゆるものを新たに感じることができます。言い換えれば、何かを新たに感じることはその人が新しい状態であることに結びついているのです。クルアーンで「もしかれの御心ならば(創造の目的を実現するために)、あなたがたを追放して、(その地に)新しい創造物を(あなたがたの代りに)連れて来られよう」(イブラーヒーム章 14:19)とあるように、アッラーは、自らの色を失わない人々、疲れきってしまわない人々、慣れから恩恵を当然視することをしない人々、そして信仰をその深みを伴いつつ魂でみずみずしく感じられる人々のことを評価されます。ですから、ラマダーンやイードの価値を認識しその恩恵にあずかろうとするといったような事柄は、何よりもまず、健全な信仰と自らの信仰を継続的に新たにすることにかかっているのです。イスラームを先祖代々続く慣わしのように文化的に捉える人々にとっては、心からイードを純粋に味わうことは難しいと言わざるを得ません。
ラマダーンとイードの関係性
ハディースの基準という観点から不確かとの指摘もありますが、ある聖なるハディースで「“ラー・イラーハ・イッラッラー”で信仰を新たにしなさい」というものがあります[1]。これが告げるところは、崇拝の対象であられるお方と自らの関係性、創造に関する命令や宗教の戒律に対する態度を頻繁に見直しする必要があること、また常に自分自身を把握してアッラーの御名のもとに新たなスタートを切ることによって、純粋な信仰を持ちながら人生を続けていくよう努力しなければならない、ということです。これは「二つの日が同じである人は損失の中にいる」[2]というハディースの意味にも似ています。これによれば人は毎日、前の日と比べて精神的状態に関する向上を見せ、信仰の美しさをよりよく感じることが非常に重要となります。この目標を追い求める人々が、ラマダーンやイードの真髄を真の意味で感じることのできる人なのです。
一方で、イード・アル=フィトルにはラマダーン月全体の本質が包含されているため、イードのあらゆる美を感じるためにはその人がラマダーンと共鳴している必要があります。そうした人々だけが、心からイードと共鳴できるのです。ラマダーンに波長を合わせた心だけが、アッラーへの信仰のためだけにその月を献身的に過ごし、断食やタラウィーフの礼拝、その他の崇拝行為も、責任感を意識しつう戒律に服従しながら全うすることができるのです。しかし彼らは謙虚にもこう言うでしょう。「アッラーよ、ラマダーン月の間、崇拝に努力しましたが、無駄に過ごしてしまったのではないかと思うのです。愛する預言者様が地獄への盾だと表現された断食を、きちんと行い、この月をその盾に守られながら過ごすことができたのでしょうか」。彼らはラマダーンを正当に過ごすことができなかった可能性を思って悲しむ一方で、イードを、アッラーの赦しが得られるチャンスだと見なし、希望に満ちた期待で溢れもするのです。
イード:ズィクルと感謝の地盤
イードの日々は天からの恵みや贈り物がアッラーの僕に降り注がれる、神秘的な時のひとこまです。こうした恵みを前にして何がなされるべきかというと、それは称賛、感謝、情熱の感情を胸に溢れさせることです。イードを単に楽しいだけの時間だと捉えるとそれは正しくありません。どちらのイードも、アッラーのご好意で赦しが与えられるチャンスです。ですからこの祝福された日々を、心と感情を覚醒させたまま、来世的な深みと霊的な広大さを伴う形で過ごすのが賢明だといえましょう。ベディウッザマン師も、その著書「28番目の閃光」の中でこの点について強調しています。「・・・このことから高貴なる預言者様は、イードの日々、無頓着さが蔓延したりもしくは宗教で禁じられた行為へとつながることのないよう、アッラーに感謝を捧げたりズィクルすることを強く勧められたのである。感謝を捧げたりズィクルすることを通じて、イードの日々における歓喜の恩恵は感謝へと転換し、その恩恵が継続し増えていく結果につながっていくのかもしれないのである。感謝を捧げることは恵みを増すが、無頓着さはそれを一掃してしまう」。
合法な範囲内におけるイードの習慣
実は、預言者様の時代もそれに続く時代においても、イードに関して宗教的原典から導き出される合法な枠組みからはみ出るような(現代行われているような)活動は何もありませんでした。つまりイスラーム初期の時代、旅行や祝祭、花火、また親戚や、年長者からのお小遣いを期待する子どもたちを訪問したりといった習慣はなかったのです。しかしながら、トルコ人はイスラームを受容する中で、自分たちの伝統を宗教の確立された基準と照らし合わせ、その基準と矛盾しない一部の伝統を継続させました。ですから、尊敬の印として年長者の手にキスすることや、親族訪問、笑顔で人々を迎え入れることなどの伝統は、宗教の本質的な教えに反しなかったために現代まで受け継がれることとなったのです。
すべての人を包み込む寛容さという温かい雰囲気<br

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hizmet hareketinin yapisi hakkinda mulahazalar f79
こわれた壷

魂に耳を傾ける時:3ヶ月

質問:ラジャブ、シャアバーン、ラマダーンの3ヶ月間の高揚感を我々の奥深くで感じ、その霊的な雰囲気を最大限生かすために勧められることは何ですか?
答え:まずこの3ヶ月間は、信者にとってアッラーに最も近づくことができ、かれの限りない慈悲に対して相応しくなり、罪を放棄して心と魂の地平線へと旅立つことができる、非常に重要な祝福された時の一片であることに言及しなければなりません。自我を清め、魂を律し、そして心を清めるという観点から、信者には毎年、神聖なリハビリを受けることが必要となります。この3ヶ月間はそうしたリハビリを実現するための非常に重要な機会となっているのです。
人が身体に関わる重荷を取り除き、ある種の地平に上昇し、ある程度のレベルの精神性を保つには、ズィクルや熟考に真剣に勤しむ必要があります。ただしこれに取り組む間も人は心と魂を宗教と精神性に対して開かれているようにしなければなりません。つまり、理性の力を用い考察しながら信仰やクルアーンについて理解しようとする一方で、降り注ぐ天の恵みや光の雨をすすりながら吸収しようとすべきです。
神意を大切にする者は大切にされる
今までに多くの人々がそれぞれの観点や視野に応じてこの特別な時のひとこまについて美しい言葉で表したり、この祝福された3ヶ月が信者の人生に獲得させるこの上ない美しさに目を向けさせてきました。こうした掛け替えのない作品を互いに読み合わせながら一語ずつ分析し、その意味を消化し吸収することは、この3ヶ月が人に獲得させる精神的な恵みを理解し感じさせるという点で非常に重要です。3ヶ月について書かれたものからしっかりと恩恵を受けるためには、適当に読むことを放棄し、問題の深部まで深く掘り下げていくことが必要です。そうではなく、そうした感情、ものの考え方を高めることができなければ、この3ヶ月について読み聞きしたものを十分に役立てることはできないでしょう。
加えて、この聖なる時のひとこまが持つ独特の美しさや、人の心に反射される歓び、風味を完全に感じとり味わうためにはまず最初にそれが「アッラーからの予期せぬ贈り物や助けがいっぱい詰まった月」であることを正しく認識し、一秒たりとも無駄にせず、この間、昼夜を問わず勤行に励んで最大限に生かせるよう真剣に取り組むことが必要となります。例えば、タハッジュドの礼拝をささげるために意を決して真夜中に起きアッラーに向かい合って祈ることをせず、夜の恵みを少しずつ飲もうとしない者にとって、これらの月について語られてきた精神的な美しさを深く感じとり、味わい、その喜びを享受することは不可能です。形而上的な緊張感を持って3ヶ月を迎え、僕としての真剣な意識を持ちながら崇拝行為に打ち込まないのなら、これらの月が告げている意味を、たとえその恵みがふんだんに降り注がれ続けたとしても、その人は理解し感じることができないでしょう。さらには、この時のひとこまに関して他の人たちが述べたものについて己の限られた視野で判断し、こうした経験を単なるファンタジーだと見なす場合もあります。
この神聖な日々にザーザーと降りかかる豊富な恵みから恩恵を受けるにはまず最初にかれを信じ、大切にすることです。注意を向けることは相互に作用します。もしあなたが3ヶ月に見出される精神や意味合いに注意を向けないのであれば、それらはあなたに対してその扉を解き放ってはくれないでしょう。さらには3ヶ月についての鮮烈で輝きを放つ言葉の数々も、あなたの目にはぼんやりとしか映らないでしょう。イブン・ラジャブ・アル=ハンバリーの感動的な表現やイマーム・ガザーリーの熱意によって心を動かすような言葉もあなたにとっては何の意味もなさないでしょう。なぜならその言葉の及ぼす影響力は、言葉そのものの価値のみならず、その事柄に対して聞き手に備わる理性的・精神的受容力、さらにはものの見方や意図といったものにも関わってくるからです。
このことから、人は聖なるラジャブ、シャアバーン、ラマダーンの色合いに染まるほどにこの事柄を自分のものとするべきです。そこまで一体化して初めて、人はこれらの祝福された月が人間の魂に囁きかけるものを耳にし感じることができるようになるのです。自らの浅薄さを捨て、現世的な型から抜け出せないのであれば、そしてこれらの月の真実に対して理解を深めようとしないのであれば、3ヶ月について述べられた最高に美しい言葉であっても気にも留めず右の耳から左の耳となってしまうでしょう。のんきに過ごすのを好み、こうした恵み豊かな季節に自己再生を図る努力をしない人、振る舞いに真面目さが見られない人がこの月の恩恵を得ようとすることはかなり厳しいと言わざるを得ません。
神聖な時のひとこまに相応しい集まり
この事柄に関する別の側面として社会的な精神や一般社会からの支持といった側面もあります。これら神聖な月が告げる本当の奥深さや広がりを感じることは心と魂の領域で深みを持つ人々が特に獲得できるものです。しかしムスリムたちがこれらの月の価値に気づき始め、モスクへと赴きアッラーに向かい合うようになってきたのも事実です。この価値ある機会を利用し、様々なイベントや活動を通じて、人々が何かしら真実について学んだりそれを魂で感じたりする助けとすることも可能です。同様にこの3ヶ月の間に位置するラガーイブ、ミゥラージュ(夜の旅、昇天)、ライラトゥルバラー(赦しの夜)、ライラトゥルカドゥル(みいつの夜)といった神聖な夜に、宗教の精神に相応しいやり方を保ちながら、現代の信仰者に訴えかけるような精神的な集いを催すことも可能です。こうして人々をアッラーに近づけ宗教の本質を心で感じさせるためにこの機会を役立てることができます。モスクを訪れる人々の心にこの方向である種の真実を感じさせることができるのと同様に、様々な集まりとして一同に集い、本を読みあったり、宗教的な講話を聞くなどしても有意義に過ごすことができるでしょう。こうして3ヶ月が自分たちにとって意味あるものだと信じる人々がその期待に対して正しい返答を得る機会ともなるのです。

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ムスリムよ、自らのイスラーム理解を批判的に見直そうではないか

  • December 25, 2015
イラク・レバントのイスラム国(ISIL)と名乗るテロリストグループが犯している虐殺の数々に直面した私の抱く深い悲しみ、嫌悪感は、いくら言葉を尽くしても言い表すことができない。 勝手に歪曲したイデオロギーを宗教という名で包んでテロを引き起こす集団がいることに世界中のムスリム15億人はやりきれない鬱屈した感情を抱いているが、私もその一人である。我々ムスリムには他の市民と連携してこの世界をテロの災禍や暴力的な過激主義から救う特別な責務があるのみならず、我々自身の信仰になすりつけられた汚れたイメージの払拭に努める必要がある。 言葉やシンボルを用い、観念として特定のアイデンティティーを高らかに謳うことは容易いことだ。しかしそれが真実であるかどうかは唯一、標榜するアイデンティティーの本質的価値観に我々自身の行いを照らし合わせてみることで判じることができというものである。我々の信仰の試金石はスローガンや何かしら粉飾を施したものではない。この世に存在する主だった信仰のすべてに共通の、命の尊厳や人類に対する尊厳の尊重といった基本的価値観に従って生きることができているかどうかによって試されるのだ。 テロリストが吹聴するイデオロギーは断じて糾弾すべきである。そしてその代わりに、明確に確信を持って多元的なものの見方の浸透を図るべきだ。とどのつまり、個々の民族や国家、宗教といったアイデンティティーの前に来るのは人類という共通の立場である。その人類は残酷な行為が繰り広げられる度にますます苦境へと追いやられている。パリで亡くなったフランス国民、その一日前にベイルートで命を落としたシーア派ムスリムのレバノン国民、そして同じテロリストの手によって死に追いやられた無数のイラク在住スンニ派ムスリムは皆、人間という以外の何ものでもないのである。宗教や民族といったアイデンティティーに関係なく、どこの誰であれ人が被っている苦難を等しく不幸として自ら共感し、一様に断固たる態度を示すことができるようになるまで、我々の文明が発展を遂げることはないだろう。 同時にムスリムは陰謀論と決別すべきだ。この理論は今まで、我々が社会問題に直面する妨げでしかなかったからである。我々がすべきは真の問題に向かい合うことだ。我々の内に無意識に潜む権威主義、家庭内暴力、若者軽視、バランスのとれた教育の欠如といった社会的理由が原因で、全体主義的思考に染まるグループにとって人を勧誘しやすい素地が提供されることになってはいまいか。基本的人権や自由、法の支配の優位、社会における多元的思考といったものを我々が確立するのに失敗したせいで、他の選択肢を模索してもがく人々を生み出したのではないか。 先日のパリでの事件で神学者と一般信徒であるムスリムの双方は今一度、宗教の名のもとに画策される野蛮な行為を断固拒否し非難する必要性を認識することとなった。だが今、拒否と非難は十分ではない。ムスリム社会内で見られるテロリストの勧誘に対しては、国家権威と宗教指導者、そして市民社会が効果的に協働して立ち向かい、戦うべきである。広く社会全般の取り組みを結集させ、テロリスト勧誘を促進するあらゆる要因に立ち向かわなければならないのだ。 民主的手段に則った支持表明、異議申し立ての方法 我々は社会と協力して、危険性を孕む若者を見つけ出し、自滅的な道に進んでいくのを食い止め、家族に対してもカウンセリングやその他の支援活動で手を貸すための枠組みを立ち上げなければならない。対テロ対策を練り上げ意見交換する場にムスリム市民の当事者も参加できることを目指し、政府が前向きに、事前対策に関わっていくようになるのを推し進める必要もある。若者に対しては民主的手段に則った支持表明及び異議申し立ての方法が指導されるべきである。早い段階から民主的価値観について学校のカリキュラムに組み込まれることも若者の精神に民主主義の文化を植え付けるために不可欠であろう。 ああした悲劇の直後に強い反発が引き起こされるのは歴史の常である。反ムスリム、反宗教といった心情に留まらず、各国政府が治安重視を掲げてムスリム市民を対象に取り始めた措置は逆効果と言わざるを得ない。ヨーロッパ在住のムスリム市民も、平和と安寧のうちに暮らしたいと願っている。であるなら彼らも悲観的な空気に意気消沈せず、ムスリム共同体がさらに大きな共同体とよりよく融合していけるような受け入れ策を促進してもらえるよう、地方自治体及び政府に対して一層働きかけ努力すべきである。 我々ムスリムにとってもう一つ重要なことは、現代の状況や要請、そして歴史的経験の集大成から解明される諸事に照らし合わせて、我々のイスラームに対する理解・実践を批判的に見直すことだ。これはなにも、蓄積されたイスラームの伝統からの決裂を意味するものではなく、むしろムスリムの先人たちが明らかにしようとしたクルアーンとハディース(預言者の言行録)の真の教えを確認するために行う理知的な問いかけなのである。 歪んだイデオロギーに利用するため宗教的文献をその文脈から切り離して読むようなやり方についても、それを追いやる方向で積極的に動かねばならない。ムスリム思想家及び知識人は全体的アプローチを推進させ、中世のように宗教的帰属と所属政党が凡そ一致する状況で果てしない論争が繰り広げられていた時代にくだされた法的判断については再検討に付すべきであろう。核となる信念を持つことを教条主義と同列に扱ってはならない。宗教のエートスへの忠実を保ちながら、イスラームのルネッサンスに開花した思想の自由という精神を復興させることは可能であるし、何より絶対的に必要である。ムスリムが暴力の原因となる過激主義やテロと有効に戦うにはそうした雰囲気が醸成されてこそ可能となるのである。 こうした諸事件が起きた余波として最近、無念にも、文明の衝突論が再び頭をもたげてきているのを目撃している。そのような仮説を最初に提示した人物は先見の明があったからそれができたのか、もしくはそれを強く欲していたからかは分からない。確かなのは、今日このレトリックの復活はテロリスト・ネットワークによる勧誘活動を一層活発化させているにすぎない。はっきり申し上げるが我々が目撃しているのは文明同士の衝突などではなく、全人類の文明と野蛮さの衝突なのである。 ムスリムとしての我々の責務は、怒りにも心が折れることなく、解決策の一部となることである。全世界のムスリムの生命と市民権を守り、信仰の種類にかかわりなく全人類の平和と安寧を保持したいと願うのであれば、今すぐ行動に移し、暴力的な過激主義の問題に対して政治、経済、社会、宗教とあらゆる局面から取り組まなくてはならない。自らの生き方を通じて徳のある模範を示すこと、過激主義の視点からなされる宗教文献の解釈を疑い除外していくこと、その若者に与える影響に目を光らせていること、そして早い段階から民主主義の価値観を教育に盛り込んでいくことによって、我々は暴力やテロリズムに立ち向かっていけるともに、それにつながる全体主義的イデオロギーにも対処することができるであろう。
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ムスリムは過激派の「がん」と闘うべきである

  • September 7, 2015
テロを糾弾し、人権を擁護し、教育を推進する 自らを「イスラーム国」と名乗る、いわゆるISISとして知られているグループがいまだ中東で大虐殺を繰り広げる中、ムスリムは、同グループや他のテロリスト集団を駆り立てている全体主義的イデオロギーに立ち向かわざるをえない状況にいる。イスラームの名のもとに犯される一つ一つのテロ行為によって全ムスリムに深刻な影響がもたらされ、他の一般市民との関係が疎遠になったり、己の信仰の精神について誤解を深めることとなっているのだ。 暴力的な過激派の残虐性をイスラームに帰すのは正しくない。テロリストがムスリムであることを主張しても、そのアイデンティティーは名目上のものでしかありえない。ゆえに信仰を持つ人々はこの「がん」が社会のあちこちに転移するのを防ぐためにできる限りのことをすべきである。もしそれをしないのであれば、信仰のイメージが悪くなった責任の一端は我々にもある、ということになってしまうだろう。 まず我々は暴力を糾弾し、被害者意識に飲まれないようにすべきである。抑圧を受けたからといって被害者意識を持ったりテロを非難しないでいることを正当化することにはならないからである。テロリストがイスラームの名のもとに重大な罪を犯していることは何も私個人の見解というわけではない。聖典クルアーンと預言者ムハンマドの人生に関する伝承という主要な出典を素直に読めば必然的にそういう結論が導きだされるのだ。こうした出典に見いだされる核となる原則は、預言者の言行録や、聖典に書き著されている「作者の意図」の研究に身を捧げてきた学者たちによって何世紀もの間受け継がれてきた賜物であるが、テロリストたちが宗教的に正当化しようとしているいかなる主張をも一掃するものである。 次に、時に信奉者たちの多様な背景に応える柔軟性が悪用されることを鑑みて、イスラームの総合的な理解を促すことが重要である。しかしながらイスラームの核となる倫理に解釈の余地がないこともおさえなければならない。そうした原理の一つに、罪のない一人の人間の命を奪うことは全人類に対する犯罪に相当するというものがある(クルアーン5:32)。戦争で防御を図ることに関してでさえ、戦闘員以外への暴力、特に女性や子供、聖職者に対するものは預言者の教えによって明確に禁止されているのである。 我々は世界中の平和を希求する人々と団結してこうした価値観を提示していく必要があるだろう。人間の心理が持つ性質やニュースの重大性を鑑みれば、主流派の声が過激派のそれほどに大見出しとならないのは致し方ないことである。だからメディアを非難する代わりに、我々の声を届かせる革新的な方法を考え出すべきだ。 三つ目としてムスリムは、尊厳、生活、自由といった人権を公に推進していく必要がある。これらはイスラームに備わる最も基本的な価値であり、個人であれ政治、宗教指導者であれ、勝手に他人から取り上げる権利など持ってはいない。信仰の神髄を生きることは、文化的、社会的、宗教的そして政治的な多様性を尊重することを意味する。神は、互いに学びあうために多様性があると、その第一義的な目的を明らかにされている(クルアーン49:13)。神が創造されたものとして一人一人の人間を尊重すること(クルアーン17:70)は神を尊重することにもつながる。 四番目として、ムスリムには社会の構成員すべてに教育の機会を授ける必要性があり、ここで文系や理系、芸術といった学問は生きとし生けるものを尊重する文化の一部となっていなければならない。ムスリム諸国政府は民主主義的価値観を養うようなカリキュラムを策定すべきである。一方、市民社会の役割は尊敬と受容の念を育んでいくことである。ヒズメット運動参加者たちが150か国以上で1,000以上の学校や個別指導センター、対話機関を設立したのはこのことが理由なのだ。 五番目、ムスリムに宗教的教育を施すことによって、過激派がそのゆがんだイデオロギーを宣伝するために用いようとする手段を奪うことが非常に重要である。一部のムスリム世界で何十年間もみられているように宗教的自由が否定されると、信仰は闇の中で培われることとなり、きちんとした資格のない過激な人物の解釈に任されるままとなってしまう。 最後に、男女の等しい権利を推進することもムスリムにとって欠かせない。女性は機会が与えられ、平等を否定するような社会的圧力から解放されるべきである。ムスリムにとっては、預言者ムハンマドの妻であり、高い教育を受けた学者、教師、その時代の卓越した共同体指導者として生きたアーイシャという優れた例があるではないか。 テロリズムは多面的問題であり、政治、経済、社会、宗教のあらゆる層が解決に取り組む必要がある。問題を単なる宗教に狭めるやり方は、危険性をはらむ若者や世界全体に損害を与えかねない。国際社会は、ムスリムが事実上そして象徴的な意味においてもテロの主な犠牲者となっていることを認識し、同時に彼らがテロリストを追いやり勧誘活動を阻止する一助となることを理解するのが賢明というものである。だからこそ、諸国政府はムスリムの疎外を招くような声明の発表や行動を避けるべきなのだ。 暴力的な過激派のいるところに宗教はない。そこには常に信仰というテキストを操作する人々がいるだけである。クリスチャンがクルアーンを燃やす行為やクー・クラックス・クランの行いを是認するわけではないのと同様、また仏教徒がロヒンギャのムスリムに対する残虐行為を支持するわけではないのと同様に、一般的ムスリムも暴力を承認しているわけではない。 ムスリムは歴史的に見て文明の繁栄に大きく寄与してきた人々である。最も偉大な貢献がなされた時代とは、信仰によって相互尊重や自由、公正が大切にされていた時代であった。イスラームの汚名を返上するのは非常に困難であるかもしれない。しかしムスリムはそれぞれの社会で平和と安寧の案内役となれる人々である。
tr haber 16281 pakistan deprem 87a

心の病

  • March 11, 2015
真に信心深い人とは、同時に高い徳をも身につけている人のことである。その人の崇拝行為には見せかけはなく、行動には偽りがなく、その心には悪意やいがみがない。見せかけは人をアッラーから遠ざける。偽りは人をアッラーから、かつ人々から遠ざける。悪意は憎悪を、いがみは恨みを呼び起こす原因となる。
akademisyenler mefkure yolculugu kitabini muzakere etti 44c

内面と外面の一致

  • March 11, 2015
世界をただそうと努める人は、まず自らをただす必要がある。そう、まず彼らの内面が憎悪、敵意、嫉妬から、外面もあらゆる不適切な行動から清められることが必要である。それであってこそ、周囲への模範となれるのだ。自分の心をコントロールできない、我欲と格闘していない、感情世界を征服できていない人によって周囲に送られるメッセージは、それがどれほど輝かしいものであろうとも、人々の魂に興奮をもたらすことはなく、もしもたらしたとしても継続的な影響を及ぼすことはない。
dun irtica bugun camia 44f

恵み多い人生を生きる人たち

  • March 11, 2015
最も長い寿命を持つ人とは、たくさん生きた人のことではない。十分に活動し、この生から報奨を得ることができた人である。この基準で見るなら、100歳まで生きていても短い生ということもできるし、15歳の時に、獲得には何千年もかかるような恵みや美徳によってその頭を天に届かせた人々もいる。
verslaafd aan gemakzucht eb1

泣く時・笑う時

  • March 10, 2015
年を取るに従い、しもべであるという意識と一体化できない魂は、得をしているつもりで実は失っているものがあるという不幸に陥る。もしその人がこれを理解できれば、今日笑っている事柄に泣くだろう。後悔に頭を垂れるだろう。
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